1枚の古い写真(奈良・志賀直哉旧居を訪問した1枚)からなかなか気持ちが切り換えられず、奈良時代の志賀直哉を追想してしばしの時間を過ごしました。
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東京から遠く、文壇の雑事から離れ、志賀直哉は、奈良の古美術や、時代を超えた美しい風物を日々楽しんだ。
この頃、書き上げた作品は、どれも生活の断片をそのままスケッチしたような小品がおおい。人間の葛藤やドラマはない。なんでもない日常の暮らしは、それだけで美しく、社会的な雑念のはいる余地がない。
奈良時代の志賀を読むと、作品に思想的なものをこめていない。しかし、日常を充実して生きることとは、社会的に成功することでも、人と人との競争に勝つことでもない、そんなことを間接的に描いている、ともいえた。
そんなこともあってか、、、
恋愛のもつれに悩む文学青年、文壇の生臭い人間関係に疲れた小説家・評論家などが、傷を癒すように、奈良の志賀直哉を訪問した。
志賀は文学論をしない。訪問者は、近所に住む画家のアトリエに案内されたり、一緒に散歩して、志賀の古美術好きを共有した。そして、上高畑の家(奈良・志賀直哉旧居)では、卓球や麻雀をして遊んだ。
訪問者は、東京では味わえない、時間がとまってしまったような、奈良の風物と古美術に接し、敬愛する志賀直哉との一夜の晩餐に心を癒し、再び、現実の問題に立ち向かうため、それぞれの生活の場所へもどっていった。
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志賀直哉は、1938(昭和13)年に奈良を去る。奈良は生活に心地良すぎて、「子供の教育には退嬰的」……というのがその理由だった。
奈良に住んでから、14年が経っていた。
志賀直哉は、奈良を、、、
今の奈良は昔の都の一部に過ぎないが、名画の残欠が美しいように美しい。
(「奈良」より)
と回想している。