かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

斎藤久志監督『草の響き』を見る(10月9日)。

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10月9日(土)。


新宿武蔵野館」へ、斎藤久志監督『草の響き』を見にいく。


12時5分の上映まで時間があったので、「アルタ」近くの地下にある「ルノアール」で、コーヒーとモーニング。


新津きよみ作『彼女が恐怖をつれてやってくる』を読む。


恐怖短編集。読んでいるときはおもしろかったけど、半月くらいで、たいはんを忘れてしまった。




『草の響き』きみの鳥はうたえるに収録)の原作は佐藤泰志


佐藤泰志は、1949年生まれ。


なんどか芥川賞候補になっているが、受賞にはいたっていない。


ウィキペディア」によれば、

1990年、遺作となった『虹』の原稿を編集者に渡した後、国分寺市の自宅近くの植木畑で首を吊って自殺。享年満41歳。


死後は全作品が絶版となっていたが、2007年、死後17年経って『佐藤泰志作品集』がクレインより発刊される。


以後は再評価が進み、『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』『きみの鳥はうたえる』の映画化や、ドキュメンタリー映画『書くことの重さ』の公開などに至る。




ウィキペディア佐藤泰志」より。読みやすく改行しています)


わたしは原作より先に海炭市叙景の映画を見て、この作家に興味をもった。どの映画化も、監督はちがうのに、佐藤泰志という作家の個性が刻まれている。


佐藤泰志の小説は、基本的にハードボイルドの文体。内面をくどくど描くというより、人物の行動を追う。


主人公は、肉体労働者か、もしくはアルバイトで働いていて、自覚があってもなくても人生の方向を見失っている。





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『草の響き』の主人公・和雄(東出昌大は、東京で編集者として働いていたが、心を病んで、故郷の函館へ帰ってくる。


大学の食堂(学食)でアルバイトをはじめる。毎日毎日皿洗いが仕事。




精神科の医者(室井滋)に診てもらうと自律神経失調症だといわれた。


運動治療法として、毎日走ることをすすめられる。


それから和雄は、雨の日も真夏の日も黙々と走り続ける。


走るコースには海がある。そこで3人の若者(ひとりは女性)がたむろしている。


男性2人は、和雄が通るといっしょに走りはじめる。並んだり、遅れたりしながら走り、和雄が黙ってどんどん走っていくと、脱落して地面に寝ころびハアハア荒い息をする。


和雄の妻・純子(奈緒は、東京の出身。知りあいも友達もいない。


純子は、函館山のロープウェイで案内スタッフとして働き、家では愛犬ニコを土手へ散歩に連れていく。


和雄は家では無気力でゴロっと寝ころんでいる。家事を手伝うわけでもないし、純子を案ずる心のゆとりもない。


和雄は、好きなときに家を出て、いつもの風景のなかを走っていく。


純子は、和雄とわかれ、東京へ帰ろうかな、とおもう。



地元で高校教師をやっている幼ななじみの研二(大東駿介が、ときどきやってくる。彼がくると家のなかがにぎわう。ふだんはない、笑いが起こる。


研二は独身。和雄の病気を心配しつつも、優しい純子がそばにいることを少しうらやんでいる。


それほどはっきり描かれていないが、純子にほのかに好意を寄せている感じも。


これは余白の描写。こういう慎ましい奥行きのある映画がわたしは好き。



黙々とそれだけが人生の目的のように走る東出昌大がいい。不機嫌で無気力で、しかし走ることは休まない。


友達の研二がきていても、「オレ走ってくる」となによりも重要な「目的」を遂行するために出かけていく。


原作には幼なじみの研二は出てくるが、妻の純子は出てこない。映画のオリジナル。




いい映画だった。


東出昌大の出演作は、何本か見ている。しかし、それほど印象に残っていない。でも、この映画の彼はとてもよかった。


あと、奈緒が演じた原作には登場しない妻・純子も、内省的なむずかしい役のような気がするけど、こころの繊細な変化を、表情や行動で上手に表現していたような気がする。こういう女優って好きだな。



映画が終わってから、斎藤久志監督、東出昌大奈緒、3人の舞台挨拶があった。



合言葉:
「投票にいこう!」
比例は「れいわ」に!(笑)