かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

2021年の積み残し③〜イエス・キリストの生涯を描いた映画『キング・オブ・キングス』(1961年製作)をDVDで見る(12月12日)。

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ジェフリー・ハンターのイエス


12月12日、日曜日。


朝9時から、大石あきこさんが出演するNHK日曜討論を見る。れいわ新選が「日曜討論」に出るのははじめて。


なかなか司会は大石さんに発言の機会をまわしてくれないので、録画してあとで見ようかな、とおもったが、結局リアルタイムで見てしまった。発言の機会は少なかったが、「大阪が人口に比してもっとも死者が多い」と、大石さんは大阪のコロナ対策の失敗を指摘していた。




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弟からメールがあって、来週深谷のおばさん(母の妹)といっしょに飲もう、ということに。おばさんが深谷からクルマで来るので、深谷から遠くない「籠原」のあたりで。


おばさんは、いまお酒を飲まないので、自分で運転してくる、という。




夕方から缶チューハイを飲みながら、ニコラス・レイ監督、ジェフリー・ハンター主演の『キング・オブ・キングス(1961年製作)をDVDで見る。


わたしは、当時、熊谷の「文映」という洋画専門の映画館で見ている。


このころ、大作映画がはやっていて、この「文映」で『ベンハー』、『十戒』、『エル・シド』、『クレオパトラなどを見た。



キング・オブ・キングス』は、2時間48分のかなり長い映画で、途中で休憩がはいる。むかしの大作映画はときどき間に休憩がはいった。


内容は、イエス・キリストの伝記映画。生誕から、ヨハネの予言、山上の垂訓、十字架の処刑、3日後の復活まで、時代を追って描かれている。


わたしの家は、宗教的なものが何もなかったが、この映画のキリスト像は、わたしの心に残った。


演じたのは、ジェフリー・ハンター。わたしのなかでは、キリスト像のイメージが、ジェフリー・ハンターで定着してしまった。


何年かあとに、ジョージ・スティーブンス監督の『偉大な生涯の物語』(1965年製作)も見たが、作品の出来不出来とは関係なく、先に見た『キング・オブ・キングス』の方が強く記憶に残っている。『偉大な生涯の物語』でキリストを演じたマックス・フォン・シドーという俳優の顔を、いまは思い出せない。


キング・オブ・キングス』を見るのは、今回で三度目。お酒を飲みながら、流れはわかっているので、それほどていねいに見なかったが、細部の忘れているところを思い出した。





エスは、神について、群衆から問われる。


「神はローマ王よりも偉大か?」


エスは「神は至上のもの。神より偉大なものはない」と答える。


この言葉は群衆をおどろかせた。


エスを誇大妄想家とあきれ、離れていくものもいた。


しかし、ローマの暴政に苦しむ市民を救済しようとしていたバラバは、このひとこそ革命の指導者だと確信する。


が、なかなかイエスは行動を起こさない。しかも、山上に集まった群衆に、「革命」ではなく「愛と平和」を説く。


バラバは失望するが、自分が立ち上がれば、イエスもきっと行動を起こしてくれるだろう、と考え、圧政に怒りをもった民衆とともに、武力革命を起こす。しかし、それでもイエスは動かない。


当初は優勢だった革命軍だったが、次第にローマ軍の圧倒的な軍事力に敗退。首謀者のバラバは、囚われてしまう。


革命の失敗に苦慮していたのは、エスの弟子のユダもそのひとり。ユダは、イエスがバラバとともにローマの圧政に立ち向かってくれると信じていた。しかし、イエスは動かなかった。


ユダは、イエスが病人や手足の不自由なものを癒す奇跡をなんどか目撃してきた。


さらにイエスが苦境に陥れば、彼の父である神は、強大な力を発揮して、イエスを救済し、ローマ帝国を滅亡させるにちがいない、と信じていた。


そう考えたユダは、イエスが、ひそかにローマ帝国へ反乱の企みをいだいている、とローマ総督ピラトに訴え出る。


奇跡は起こらなかった。ユダの思いはむなしく、イエスは、無抵抗のまま捕縛された。


ローマ総督のピラトは、反乱者のバラバとイエスを民衆の前に晒し、「このふたりのどちらかを助けてやろう、誰を助けるかをおまえたちが選べ」という。


民衆は、何も行動しなかったイエスではなく、民衆のために戦ったバラバを選ぶ。


エスは、磔刑(たっけい)に処せられる。


そして予言通り、3日後、イエスは、家族や弟子たちの前に復活する。







こんなストーリーだけれど、むかし見たときよくわからなかったのは、ユダの裏切りの原因(もちろん、あくまで映画的解釈にすぎないにしても)。イエスとバラバの関連性。それと民衆がなぜイエスではなく、バラバを救おうとしたのか。


新訳聖書に、「バラバ」の名前は、イエスと天秤をかけられ救われた方のひととしてしか登場していない(とおもう)。あとは映画の創作だろうか。


わたしは、この映画の影響でバラバという無名の人物に興味をもち、ラーゲルクヴィストの『バラバ』という本を、そのころ読んでいる(中身はほとんど忘れてしまった)。


この小説からバラバの人間像がつくられているのかどうか知りたくなってAmazonで検索。最近、古書としてあったので注文しているが、まだ来ない。