3月9日、水曜日。
「新宿武蔵野館」へ、『マヤの秘密』(ユバル・アドラー監督)と『愛なのに』(脚本:今泉力哉、監督:城定秀夫)を見にいく(ひさしぶりのダブルヘッダー)。
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上映まで40分ほど時間があったので「ルノアール」へ寄る。コーヒーとモーニングを食べながら、Kindle版で山本文緒の『眠れるラプンツェル』を読む。
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28歳の主婦と、マンションの隣りに住む13歳の男子(中学生)との恋愛の行方を描いた話。年の差など気にしなくても、とはいいつつも、なかなか呑み込みにくい状況設定を、「それもありかな」とおもうように、主婦の抑制できない心の動きを描いていく。
主婦と中学生の会話が、最初は近所のおばさんと少年なのに、だんだん女と男の会話になっていくあたり、うまいなあ、と感心する。
せんだって田山花袋の「少女病」という短編小説を「青空文庫」(無料)で読んだ。こちらは37歳の家庭のあるサラリーマンが、列車で見かける清楚な女子学生たちにエロティックな妄想を膨らませる、という話。
電車が混雑していればいやでもふだんありえないような近距離で女性と接することになる。この主人公は、それを電車にのるときの楽しみとしている。とくに美しく初々しい女子学生をみつけると、胸をときめかせてしまう。
これで何かしたら痴漢そのものだけど、頭のなかで妄想するくらいでは、犯罪にならない。そして、明治の文豪・田山花袋の短編小説となれば「文学作品」として鑑賞の対象になりうる。
山本文緒の『眠れるラプンツェル』では、主人公の主婦は、13歳の中学生と妄想を超えた実際の関係をもってしまう。現実には法律で許されていない行為。でも、文学上の実験テーマとしては「あり」だとおもうし、おもしろい。
文学のなかでは、道徳や法律を破って「毒」を発散することが許される。山本文緒も田山花袋も、現実では罰せられたり、誹謗されるような行為を描き、読者を、道徳を超えた想像の世界へ誘(いざな)ってくれる。
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ここまで書いて、長くなってしまったので、映画の感想はまた別の機会に(笑)。