かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

「昭和のアパート」に迷い込んだ犬(『犬がいた季節』を読んで思い出したこと)。


わたしが出会った犬は、こんなにハンサムではなかったかも(フリー素材を拝借)。




伊吹有喜著『犬がいた季節』。


はじめに、つるひめさんが紹介してくれて、次にそれを読んだよんばばさんが、感想をブログにアップしてくれた。




tsuruhime-beat.hatenablog.com




hikikomoriobaba.hatenadiary.com







八稜高校で暮らす一匹の犬(コーシロー)が12年間のあいだに出会った高校生たちの眩しいほどの青春物語を描いた小説。


彼らは3年間が過ぎると、次々に学校を去っていく。そして、また新しいひとたちがはいってくる。


しかし、コーシーロー(ワンちゃん)には、とりわけ忘れがたいひとりの女性がいた。



わたしはこんなキラキラした高校生活を送ってないので、はじめはこそばゆい感じで読んでいたが、著者の筆力に惹き込まれて、どんどん読んでしまった。


そしてコーシーロー(ワンちゃん)が慕った、憧れの女性(優花)の美しい面影。こんな可憐で優しい女性ならみんなが好きになってしまうだろう、とおもいながら、わたしも慕わしくなってしまった。



コーシーローという犬のことから思い出したことがある。たわいないことですが、そのことをちょっと書きます。




わたしは結婚して練馬区江古田のアパート(6畳ひと間、風呂なし)に住んでいた。江古田駅から徒歩17〜18分。




こんな構造の「昭和のアパート」です(笑)。この2階のいちばん奥に住んでいました。




ある日、仕事帰り、共働きの妻と待ち合わせて帰ってみると、部屋(2階の1番奥)の前に、一匹の犬がいた。


雑種だろうけど、犬らしい犬だった(柴犬のような)。仔犬よりは大きかったが、成犬になるともっとずっと大きくなりそうな気がした。


その犬はわたしたちに吠えることもなく親しそうに尻尾をふっている。首輪はつけてない。


入れ物に水をいれてやるとカツカツ全部飲んでしまった。お腹が空いているかもしれないので、買ってきたパンをやるとそれも食べてしまった。


「もうないよ。また遊びにおいで」と妻がいって、わたしも頭を撫でて、部屋にはいってしまった。


ペットを飼えないアパートだった(当時はたいがいそうだが)。朝までに犬はいなくなるだろうとおもっていた。


しかし、朝ドアをあけると、いた。うれしそうに尻尾を振って小刻みにステップしている。


残り物をあげながら、「残念だけど、きみを飼ってあげられないんだよ」


妻と駅までの道を歩く。


途中までついてくるので、「シッシッ」と手で追い払うと、何度目かに諦めて違う道へ折れた。それでも立ちどまってこっちを見ている。


「なつかれても飼えないんだから困るよなあ」と後ろ髪をひかれながら駅へ向かった。


その日の夜遅く、妻とアパートへ帰ると、わたしたちの部屋の前から、犬が尻尾をふって、うれしそうに駆けよってくる。


邪険に追い払ったのに、1日待っていたのか?


水と食べ物をあげて、妻と相談し、環七通りにある、歩いて7〜8分ほどの「桜台交番」へ連れていくことにする。


リードをつけてないのに、横並びに歩き、ときどきうれしそうに見上げて尾をふる。どこかで別れていってくれれば、わたしたちには手間がはぶけて好都合だったが、「桜台交番」まで着いてきてしまった。


「きのう会ったばかりなのに、何も疑っていない。これまでどうやって育ってきたのだろう。ひと慣れしているので、飼い主のいる犬のような気がするが、ならどうして首輪をしていないのか」


そんなことを妻に話した。


「桜台交番」のおまわりさんに相談するが、飼い手がなければ保健所にあずけることになる、という。もらい手がなければ「処分」される‥‥。


信頼して着いてきた犬を、「処分」される可能性を知ってて見捨てるわけにはいかない。交番の電話を借りて、知っている(犬を飼えそうな)ひとたちに連絡する。


急な話だから、次々断られる。むりもない。犬種も雑種だし、愛くるしい仔犬でもない。


あきらめ半分で、熊谷の居酒屋などで時々出会った、自分の詩集を売っているSさんに電話。


「何匹いるの?」
「あっ、一匹です」
「いいよ。飼っても」
「いいんですか」
「一匹なら大丈夫」


「よかった」。


Sさんが神様のようにおもえた。しかし、東京から熊谷まで犬を運ばなければならない。


当時、わたしの友達でクルマをもっているひとはいなかった。しかし、お兄さんのクルマを借りてうちへ遊びにくるやつはいた。


K(姓の呼び捨て)、兄さんのクルマを借りておれのアパートまで来てくれないかな。悪いんだけど、ここに犬がいてね‥‥」と簡単に事情を話す。「熊谷のSさんのうちまで運んでほしいんだけど」


「アニキに聞いてみる」。


Kの兄さんはクルマ好きだから犬を乗せると言うと貸してくれないかもしれない、別の理由をこしらえてみる、とKはいう。


少しして、、、


「OK。これから出る。アパートでいいんだね」
「うん、アパートで待ってる」


到着まで、渋滞がなくて1時間30分くらいか。


交番のおまわりさんにお礼をいう。「この犬、よくなついているね」と、おまわりさんも行き先が決まってよろこんでくれた。


2時間ほどでKが迎えにきて、クルマで犬を運んだ。クルマになれないせいか、犬は何度か吐いた。わたしと妻がティッシュとタオルで汚物を片付けたが、犬はからだを伏せたまま、目をつむっていた。




フリーの素材から拝借しました。




「アニキに返す前に水洗いするから大体で大丈夫だよ」とK


「悪いね、K君」と妻が何度も詫びる。


無事熊谷のSさんの家へ着く。Sさんは昔飼っていた犬のリードがあった、といって犬の首につけた。


「バイバイだよ。わたしたち帰るよ。Sさんにかわいがってもらいなね」と妻。
妻とわたしは、Kのクルマに乗った。


犬は自分もいっしょに乗るつもりか、あとに着いてきたが、リードで引きとめられると、「ワン」と吠えて、足踏みしながら「ぼくはどうするの?」という顔をした。


Sさんに「よろしくお願いします。また熊谷へきたら連絡します」とお礼をいって、Kにクルマを出してもらう。


何日かして、Sさんから「名前をトーキョーにしました。彼は元気です」というハガキをもらった。


それから4〜5年して、Sさんから「すみません。トーキョーはクルマに轢かれて亡くなってしまいました」という連絡があった。


熊谷へいく用があると、妻から「きみ、トーキョーに会いにいかなくていいの」といわれたが、なんだか会うのが怖いような気がして、結局一度も会いにいかないまま、トーキョーは亡くなってしまった。


忘れていた記憶のひとコマですが、思い出すと、いまだに、なんであんなになつかれたのかふしぎです。


[蛇足]
「桜台交番」は、移転したのか、環七通りの同じ場所にはない。
Kとは交流がなくなったが、毎年、年賀状がくる。
Sさんはトーキョーが亡くなってから連絡が途絶えた。