10月8日土曜日。
涼しい季節になったので、前々から行きたいとおもっていた、椎名町の「トキワ荘マンガミュージアム」へいく。
目的地までは複雑な道ではなかったが、HP掲載の「徒歩10分」より遠く感じられた。わたしたちの足が遅いのだが。
前日に予約したより早い時間に着いたが、すぐに中へいれてくれた。
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「トキワ荘」は「1952年(昭和27年)から1982年(昭和57年)にかけて存在した木造2階建アパート」(ウィキペディア)。
漫画家の卵たちが長屋のような古いアパートに集まって悪戦苦闘していた昭和の時代が思い浮かぶ。
玄関を入ると階段がある。2階へ上ると長い廊下があった。廊下の両側にいくつか部屋があって、漫画家の卵たちが住んでいた。
各部屋は4畳半。台所・洗面所・トイレは共同。
2階の廊下。
台所(DIG JAPANから拝借)
わたしが東京へ出てきて住んだ4畳半アパート(東十条)も、この構造に似ていた(奥の部屋に「ナンマイダナンマイダ」といいながら太鼓みたいなものをデンデンと叩くひとがいたな)。
5月ころにDVDで市川準監督、本木雅弘主演の『トキワ荘の青春』(1996年公開)を見直したが、この2階の廊下を忠実に再現していた。
「ウィキペディア」によれば、「トキワ荘」に住んだマンガ家は、、、
手塚治虫(1953年初頭 - 1954年10月)
寺田ヒロオ(1953年12月 - 1957年6月)
藤子不二雄(1954年10月 - 1961年10月)
鈴木伸一(1955年9月 - 1956年6月)
石ノ森章太郎(1956年5月 - 1961年末)
赤塚不二夫(1956年5月 - 1961年10月)
水野英子(1958年3月 - 1958年10月)
山内ジョージ(1960年9月 - 1962年3月)
(註:入れ代わりもあり、同時に住んでいたわけではないが)
あまりマンガを読まないので、個々のマンガ家に強い思い入れはないが、寺田ヒロオは、小学生の低学年のころ、「背番号0(ゼロ)」や「スポーツマン金太郎」など熱心に読んでいた記憶がある。
映画『トキワ荘の青春』では、本木雅弘が寺田ヒロオを演じている。
若い才能が長屋アパートへ住んで、あるひとは成功し、あるひとは芽が出ないまま、挫折して故郷へ帰っていく‥‥そんなドラマ以上の現実がここで行われていた。
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つげ義春は、住むことはなかったが、ここへ何度か訪れている。
映画『トキワ荘の青春』のエンディングには、監修者のひとりに「つげ義春」とクレジットされているし、場面は少ないけれど、役者が演じるつげ義春も登場する。
「トキワ荘」をウィキペディアで検索してみると、「トキワ荘に頻繁に出入りしていた漫画家」の項目に「つげ義春」についての言及があった。
(つげ義春は)‥‥『漫画少年』の投稿欄を通じて知り合った赤塚不二夫を訪ね、トキワ荘に出入りしていた。
つげ:「まだデビュー前で、トキワ荘に移ってからも、彼だけがなかなか芽が出ないでいたんですね。ぼくがトキワ荘を訪ねても、相手をしてくれるのは、赤塚さんくらいでした」
つげ:「トキワ荘には、まだ赤塚さんたちが入られる前、手塚(治虫)さんが一人で住んでおられた時に訪ねたこともありました。マンガ家になろうと思い立ち、原稿料がいくらくらいか訊きに行ったんですが、きちんと対応してくれて、親切でしたよ」
と語っている。
また、トキワ荘グループは苦手だったと認め、「デビューしてまもない無名でしたから、寺田ヒロオさんや藤子不二雄さんとかは、ほとんど相手にしてくれなかったです。赤塚不二夫さんと、あとは石森(石ノ森)章太郎さんがちょっとだけ相手にしてくれました」とも発言している。
(『東京人』2014年7月号)
「トキワ荘」のマンガ家たちのなかでも、つげ義春は異分子だったようだ。
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1階にはわたしが小学生のころ見たような漫画雑誌の表紙が大量に展示してあった(ここは企画展)。
当時、漫画雑誌は、『少年画報』(少年画報社)、『ぼくら』(講談社)、『日の丸』(集英社)など、月刊誌が主流だった。ついてくる付録も大きなたのしみ。付録がほしくてふだん買ってない雑誌を買うこともあった。
最初の週刊漫画雑誌『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』の創刊は1959年(昭和34年)とあるので、このあたりから漫画雑誌の主流が週刊誌になっていったという記憶がある。
わたしはなぜか主流が週刊誌になったころから、あまりマンガを読まなくなったような気がする。とくに思いあたる理由もないけれど、マンガより少年向けの探偵小説の方がおもしろくなったのかもしれない(例えば『少年探偵団』、子供用にリライトされた『シャーロック・ホームズ・シリーズ』など)。
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そこに変わった鶏(にわとり)がいた。見たことがない種類だったので飼い主の女性に聞いたら、外国の鶏だという。
飼い主が「散歩をさせている途中です」という。
「犬の散歩みたいですね」といったら、笑っていた。