かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

秋の散歩②〜「寅さんの町、柴又へ」(10月29日)


柴又帝釈天門前参道商店街神明会」のサイトから。このくらいの人出だったらいいけれど。




10月29日(土)。快晴。
Tさんと、いい気候だから会おう、と決まって、場所は、わたしのリクエストで「柴又」にしてもらった。


コロナ禍もあって、何年も柴又へいってない。ひさしぶりにいってみたかったので。


柴又駅午後1時待ち合わせで、乗換え駅の「京成高砂駅」のホームを歩いていたら、向こうからトランクをもった上から下まで衣装もそっくりの「寅さん」がやってきた。


写真に撮らせてもらいたいくらいだったけど、気がひけて声をかけられない。黙ってすれ違う。


柴又駅を降りると、駅前が半端なく渋滞していた。なんだろう? 


立ち食いそばを食べてからコーヒーを飲ませてくれるような店をさがしていたら、Tさんが駅から降りてきた。


「なんだろこれ?」とTさん。
「すごい混みかただね」とわたし。「こんなのはじめて」


まもなく商店街の看板で、10月29日、30日と「寅さんサミット2022」という催し物があって混んでいるのだ、とわかったが、その内容まではわからない。






商店街も、人と人が満杯状態。ゆっくり商店街を見る気にもならない。


そういえば、寅さんの扮装をした「寅さん」は、その後何人も出会った。


帝釈天までいく。すわって話のできるところがない。


今回は、場所の選択が失敗だった。選んだのは、わたし。


帝釈天の境内をぬけ、裏の「寅さん記念館」の方へ歩いていくと、広いスペースにいくつものテントが出ていて、バザーのようなことをやっている(あとで見たら、地域特産物の展示・販売と出ていた)。


まずは「寅さん記念館」へはいって、おいちゃん、おばちゃんの「とらや」(40作目から「くるまや」)のセットを見たりする。





「くるまや」のセット。「寅さん記念館」のHPから。




記念館の中央に、空いたベンチがあったので、雑談。Tさんが持ってきた「おすすめ本」のメモ書きを見せてもらう。


そのなかに川本三郎著『ひとり遊びぞ 我はまされる』があった。この本は、最近読了したばかり。「ひとり遊び」のたのしさが詰まっていた。


それをいうと、
「これはシンちゃんが好きそうな本だからメモしてきた。おれはまだ最初の方を読んだだけ」とTさんがいった。


川本三郎は、ズバリわたしの好きな映画評論家・文芸評論家・永井荷風研究家、そして「一人歩きの先生」だった。


で、逆にわたしの方から、Tさんへ川本三郎氏のことについて、長々説明することになった。


『ひとり遊びぞ 我はまされる』の前書きで、川本三郎氏は書いている。

映画を見る、本を読む、音楽を聴く、町を歩く、ローカル線の旅に出る。


(略)


例えば、新宿駅から甲州や信州に向かう。平日の列車に乗る。駅弁と缶ビールと本を持ち込んで、椅子に坐る。平日だから車内は空いている。列車が走り出して、缶ビールをあけて、本を開く。この時の楽しさ! この一瞬のために仕事をしているとさえいえる。


まさに「一人遊び」の楽しさが開陳されている。


川本さんほど映画は見てないし、本も読んでないし、一人旅もしてないけれど、生活のなかで、わたしがたのしいとおもう瞬間は、ほぼ一緒。


そんなことをTさんに話す。


「シンちゃんが共感するとおもってメモしてきた。でももう読んでたか(笑)」


本の話はまたゆっくり話そう‥‥というわけで、江戸川の土手へ出てみる。


暑いくらいのいい天気。


土手を散歩する人、ボール遊びをする人、敷物を広げて雑談している人など‥‥にぎわっている。



江戸川を渡る小さな舟が見える。矢切の渡し。めいっぱい人が乗っている。


向こう岸は千葉の「松戸」




松戸市観光会の「矢切の渡し」の写真を拝借。この日は人出に圧倒されて、写真を1枚も撮らなかった。




寅さんの第1作目『男はつらいよ』(1969年=昭和44年)では、寅さんはこの「矢切の渡し」に乗って、松戸方面から柴又へ帰ってくる。50作に及ぶシリーズの初回冒頭の場面に「矢切の渡し」が出てくる。


寅さんの服装も、その後トレードマークになる背広の色とちがう。そもそも松竹は『男はつらいよ』の企画に乗り気でなかったので、山田洋次監督はこの1作だけのつもりで撮った。


それが予想外に当たって、もう1本、もう2本というふうに続いていく。



もっと古くに「矢切の渡し」が登場するのは、伊藤左千夫の傑作青春小説『野菊の墓』(1906年明治39年夏目漱石が誉めた)。


小さなころから仲がよかった正夫と民子(いとこ同士。民子が2歳上)。


子供から少年少女へ。だんだん世間の噂がうるさくなる。何かあったらどうするんだ。女が2つも上だよ。黙ってる実家も実家だよ。


正夫の母は、赤ん坊のころは、ふたつの乳を正夫と民やにいっしょに飲ませて育てたくらいだから、わたしがあの子たちのことは一番よくわかってるよ、と理解を示していたが、世間の中傷が激しくなると、ふたりの距離を離そうとおもうようになる。


母は、正夫を全寮制の学校へいれる。


正夫が、松戸の実家から東京の学校へ向かうために乗るのが「矢切の渡し」。正夫は母や民子に見送られて、江戸川を渡る。


そして、このときが正夫と民子の生涯の別れになる。




野菊の墓」を映画化した『野菊の如き君なりき』(木下恵介監督。1955年)。ただし、舞台は松戸ではなく、信州になっている。
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駅の方へ引き返す。


柴又でビールを1、2杯飲んで、どこか他へ(日暮里辺りに)転戦しようとおもっていたら、駅前の、屋根の延長にテントを張ったような小さな居酒屋が、ひとテーブル空いていた。


飲み出したらなかなか落ち着く。気どらない店構えがいい。


「シンちゃん、ここでゆっくりするか」とTさん。わたしは、異存なし。


「で、川本三郎さんのことなんだけどね」と、早速さっきの話の続きへ。


オレもしつこいのう(笑)。