かぶとむし日記

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ジョージ・ハリスンを偲んで〜③パティ・ボイドが見たジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン。


離婚後も仲のよかった、ジョージとパティの最後のツー・ショット(2017年、銀座の「パティ・ボイド写真展」より)。



ジョージ・ハリスンパティ・ボイドは、1964年のビートルズの映画『ハード・デイズ・ナイト』で出逢い、その後結婚。1974年に離婚している(Wikipediaによる)。


離婚の原因は、ジョージの、インド音楽・思想・宗教への想い入れが強くなり、パティ・ボイドに不満が溜まっていった、ともいわれるが、最初は拒絶していたエリック・クラプトンの激しい求愛に、やがてパティが応えたため、ともいわれている。


1979年、パティとエリック・クラプトンは晴れて結婚するが、「めでたし、めでたし」とはいかなかった。エリックはアルコール依存症であり、浮気は日常的で、のちに隠し子も発覚する。パティは耐えられなくなり、エリックのもとを去る。


しかし、パティが家を出ると、エリックは「もどってくれ!」と激しく求愛してくる。しかし、もどってみると、エリックの態度は何も変わっていなかった。


長いツアーから帰ってきたので、やっとエリックと一緒に過ごせるとおもっていると、ひとりで釣り竿をかかえて出かけてしまう。


エリックの態度は「釣った魚にエサはやらない」という諺のとおりだった。


あまりひどいので、ジョージに相談したこともある。オリヴィアと再婚してからジョージはいっそう穏やになった、とパティは自伝のなかで書いている。わたしを妹のように接してくれた。


パティとエリックは、1979年に結婚し、1989年に離婚している。離婚してからも、エリックはパティに交際を求めた。



当時ジョージ・ハリスン夫人だったパティ・ボイドへの求愛を歌にしたのが、エリック・クラプトンの代表作「いとしのレイラ」であることは知られている。


パティは、ジョージの「サムシング」は、わたしを歌ったものだといっているが、ジョージは特定の女性を歌ったものではない、と否定している。


『パティ・ボイド自伝〜ワンダフル・トゥディ』のなかで、パティは、ジョージとエリックについて次のように書いている。

ジョージのもとを去った事をとても後悔している。私がもっと我慢すれば、最後は二人で笑えたかもしれないのに。


でも、エリックを拒んでいたら、私はあの情熱的な愛を知る事は出来なかっただろう。それでもエリックと別れた事は後悔していない。


ジョージの愛は、エリックの激しい愛に比べて、穏やかで優しい愛だった気がする。




「サムシング」の公式映像。
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ビートルズ時代に創りかけ、1976年のアルバム『33 &1/3 』(さんじゅうさんか・さんぶんのいち。当時のジョージの年齢からとられた)に収録された。わたしの大好きな曲。
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「レイラ」は、パティのこと。クラプトンも認めている。
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