佛光山法水寺(公式サイトより)。
8月17日㈯。
今日・明日と、娘家族4人とわたしたち夫婦で、「四万温泉(しま・おんせん)」へ1泊旅行。6人のりのクルマで、運転はヒデユキくん(娘の夫)が往復とも担当してくれる。
川越から関越自動車道へのる。高速降りたところのインターを忘れた。自分で運転しないと、あまり考えない。
途中「水沢うどん」(群馬県)で昼飯を食べ、わたしの希望で、以前つるひめさんのブログで見た台湾のお寺「佛光山 法水寺」(群馬県渋川市)へ寄ってもらう。
いってみて、異界を想像させる風景や造型物に、みなよろこぶ(駐車代、拝観料とも無料なのもうれしい)。
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【撮影自由】
山門からは、下界の風景が眺められた。
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夜、わたしは夕飯に飲んだ生ビールが効いて、早めに眠った。わたし以外の5人は、卓球(有料)で遊んだようだ。
妻は見学だけかとおもったら、むかし中学か高校でやっていたことがあるらしく双子・その両親と、打ち合いをたのしんだらしい。
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夜中に目が冴えるのは、旅行へきても同じ。
読みかけのスティーブ・ターナー著『ビートルズ’66 彼らが「アイドル」を辞めた年』の後半(Kindleの進行目安では80%〜)を読む。ビートルズが急激に変貌した1年間に焦点をあてている。
ビートルズにとって、1966年は目まぐるしい年だった。
話しの文脈が無視され、ジョン・レノンの「いまやビートルズはキリストよりも人気がある」という言葉が切り取られ、アメリカではビートルズのレコード不買運動が起こる。
ラジオDJの呼びかけで、ビートルズのレコードが一堂に集められ、焼かれた。
6月30日から日本公演が実現する。
6月30日・7月1日・7月2日の3日間で、5回のステージがおこなわれた(日本武道館)。約5万人が、ビートルズを目撃したといわれている(わたしも見たぞ!)
8月5日、革新的なアルバム『リボルバー』が発売され、ファンや音楽業界をおどろかせた。当時のテクノロジーでは、ステージで再現できない実験的な作品群。
8月29日、サンフランシスコの「キャンドルスティック・パーク」で最終公演。このライブはこの年の最後というだけではなく、ビートルズのバンドとしての最終公演だったが、ビートルズは外部に何も知らせず、いつもの公演終了のように、ファンに笑顔で手を振って会場を去った。
人気絶頂の音楽グループやシンガーが、ライブ・ツアーを辞める、というのは前代未聞でありえなかった。
しかし、時間とともにそれは現実になった。
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ジョージ・ハリスンはインドの音楽と宗教・哲学に、ますます深くはいりこんでいた。
ポール・マッカートニーは、ロンドンに住み、最先端の、写真、美術、文学、前衛芸術などを見学・参加……それを積極的に吸収した。
ジョン・レノンは単独でリチャード・レスター監督の『ジョン・レノンの僕の戦争』にちょい役で出演、撮影中をリンゴが訪ねた(その後、単独で何本かの映画に挑戦するのはジョンではなく、リンゴだった…)。
突然、ビートルズというグループから自由になった(一時的にだが)リンゴ・スターは、まだ当惑していた。
「音楽以外の何をしたらいいんだ?」
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ビートルズは、ツアーを辞めてからひさしぶりにファンの前にプロモーション映像で登場する。
4人は髭をたくわえていた。
それぞれが、思い思いに過ごした成果を持ち寄って録音したのが、リバプールを追想した「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」。
「ストロベリー・フィールズ……」は、霧の中に迷いこんだような幻想的な作品だった。
対照的に、「ペニー・レイン」は、故郷の懐かしい通りや街並みが歌われ、にぎやかな管楽器が加えられている。
ロックの常識から離れた2曲を聴いて、1966年のわたしは、正直戸惑ったものだ。
さて、ビートルズは、これからどこへ向かうのだろう?
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「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。
www.youtube.com
「ペニー・レイン」。
www.youtube.com