かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

リアル過ぎる映画だった『大いなる不在』。


9月29日㈰。
Sさんとクルマで、「川越スカラ座」へ、近藤啓監督『大いなる不在』を見にいく。市役所の有料駐車場へクルマを停める。


少し早めに着いて、チケットを買ってから川越の街、時計台の付近を少し散歩する。




幼い頃に自分と母を捨てた父が事件を起こして警察に捕まった。知らせを受けて久しぶりに父である陽二のもとを訪ねることになった卓(たかし)は、認知症で別人のように変わり果てた父と再会する。


(「映画.com」より)


www.youtube.com

【公式サイト】
https://gaga.ne.jp/greatabsence/



久しぶりに会った父が認知症になって、かつての人格を喪失していたら?


それがこの映画が投げかける根本的テーマ。


父を藤竜也、息子を森山未來がやっている。ふたりがいい。森山未來って、自然でいいな。


ちょっと目には(少し話すだけなら)、むかしの父と変わらないようにも見える----。


がしかし、、、


父の再婚相手も、行方不明になっている。


その女性は、学生時代からの想い人で、結婚してからも、その想いを捨てることができず、父は彼女と再会したとき、妻子を捨てた。


そんな大切な女性に対しても、「キレる」と乱暴な言動をするようになっていた。


女性は、父(彼女にとっては夫)を扱いかね、去ってしまった。



映画を客観的に鑑賞している気持ちのゆとりがない。


わたしたち高齢夫婦にとっては、あまりにリアルで重いテーマだ。


わたしの父は、七十代になって認知症の症状が出た。過去と現在の時間感覚がバラバラになっていた。


わたしはいま父の年齢を超えている。


病気とはいえ、自分に別な人格があらわれ、それをコントロールできず、配偶者でも持て余すありさまになったら…。さらには、人にいえないような恥ずかしい人格があらわれたらどうしたらいい?


映画がおわって「もちもちの木」へみそラーメンを食べにいく。


「いやだよ。わたしは面倒見きれないよ」
と、妻の薄情な言葉を聞きながら生ビールを飲む。