かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

茨城へ1泊旅行〜映画『田園に死す』〜ビートルズをいつ知った?

 

11月9日㈯。曇り。
朝7時半に弟夫婦川越へ来る。少し大きいうちのクルマに乗り換えて、弟の運転で茨城方面の旅行へ出発する。

 

わたしは視界が、微妙にダブったりするので、運転をやめている。全コースを弟が運転してくれることになった。


川島インターから圏央道に乗り、ひたすらまっすぐいって常磐道で左折。友部サービスエリアで、sekine夫妻と落ち合う計画。

 

川越から2時間半くらいかかった。

 

予定の10時に2台のクルマが合流できた。

 

sekine家は、千葉の稲毛から来るので、川越まで来るのはかえって遠くなるので、やむなく2台に分かれての1泊旅行になる。


sekineさんは、前に仕事などで茨城へ来ているが、こちらはほとんどはじめてみたいなもの。全面ナビ便りの運転になる。


最初の目的地は、「笠間稲荷神社」。暗中模索ながら、着いた。菊祭りで人出が多かった。

 

 

 

わたしは体調がおもわしくない。座れるところへ腰をかけて、みんなが境内をまわるのを、Sさんと待った。


sekineさんが知っている蕎麦屋さんでお昼。


わたしはおろし蕎麦を注文し、天ぷらひとつを弟の奥さん(さっちゃん)と分けあったが、ひとつが大きかったので、半分を食べきるのにやっとだった。


笠間稲荷神社から五浦(いづら)海岸の岡倉天心「六角堂」へ向かう。駐車場から六角堂のある海岸まで凸凹道を降りるのに、わたしの足元が便りない。Sさんがそばで支えてくれた。このところ、急に歳をとった心地がする。


海の景観はよかった。


埼玉は海がないので、弟夫婦とわたしたち夫婦は広い海を見ると、すぐに感動するようなところがある。千葉の稲毛に住んでいるsekine夫妻は、散歩コースに海があるからうらやましい。


若いカップルがきたので、6人で撮ってもらう。


東北の震災で、「六角堂」は津波をかぶり、あとから立て直したようだ。

 

以前東京の谷中周辺を散歩したとき、五浦海岸のものを小型化したような六角堂があったのをおもいだした。


そこから今日の宿、鵜の岬国民宿舎までクルマで走る。


宿の部屋から見える海がきれいだった。

 

 


みな風呂にいったが、わたしは部屋で夕飯までひとり寝る。活力がない。


しかし、生ビールはうまかった。夕飯を食べて、わたしたちの部屋へ集まって飲み直す。


sekine家(わたしの古い知人)と弟夫婦の付き合いは、それほど長くない。昨年10月、千葉の1泊旅行へ6人でいって、だいぶ気心が知れた。


わたしたち夫婦も弟夫婦も旅行の予定を立てるのが大の苦手。前回も今回も、sekineさんが計画を組んで「どうですか?」と連絡があったが、依存はなかった。


誰かが恐山の話をした。わたしは恐山に興味があったが、行ったことはない。めんどくさいのだ。イタコが死者を呼び出す、あれを信じるかどうかを全員に聞く。弟だけが、少し信じるといった。わたしは、神がかったものは信じない。信じたほうが、おもしろいとはおもうが⋯。


そこから寺山修司監督の映画『田園に死す』(1974年)の話になる。シーンの展開が予測できない映画だった。sekineさんとわたしたち夫婦だけがそれを見ていた。


sekineさんが「あのラスト・シーンをどう解釈する?」と聞いた。


青森の実家で、主人公の「私」は、母と食事をしている。


そこへ一瞬で背景がバタッと倒れ、「私」と母は、新宿駅の東口「アルタ」前で食事している、というシーンである。

 

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「理屈で解釈したらつまらないよ。びっくりした、おもしろかった、でいいじゃない」とわたし。


農家の土間。陰る夕暮れ(?)に誰か静かにはいってくる。誰だろうとおもったとき、それが鞍馬天狗だとわかる。理屈も何もない。


わたしたちがちいさかったころ、チャンバラが好きだった。そのヒーローのひとりが鞍馬天狗だった。鞍馬天狗が実家の土間へ静かにはいってきたら、少年はどんなに興奮しただろう? 

 

この映画についてしゃべるととまらなくなる(笑)。


sekineさんの奥さんとわたしはビートルズの初代からのファンだ。いつビートルズを知った、という話になって、sekine妻は、1963年の暮くらい、といった。わたしは、1964年の初夏だ。


ちなみに音楽雑誌「ロッキング・オン」の、熱狂的な初代ビートルズ・ファンだった松村雄策氏は、1964年の春だといっていた。


ビートルズのレコードがはじめて日本で発売されたのは、1964年春だから、1963年に聴いたのは、かなり早い。


本人はっきりしないらしいが、ラジオの「FEN」(在日米軍向けの放送)ではないか。放送は全部英語だけど、洋楽が聴けるので、わたしもときどき聴いていた。

 

1963年のビートルズ。ヨーロッパでは人気に火がついていたが、アメリカと日本ではほとんど無名だった。

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11月10日㈰。
翌日は、水戸の偕楽園へ寄る。わたしは体調が悪く、駐車場の近くに「千波湖」があったので、Sさんと散歩する。

 

 

木の橋があった。木の橋を見るとワクワクする。

 

 

 

sekine夫妻とは、そこで現地解散した。