3月2日㈰。
Sさんの運転で「ウニクス南古谷」へ、ジェームズ・マンゴールド監督の『名もなき者』を見にいく。
事前の評判がいいので、主演のティモシー・シャラメが、ボブ・ディランをどう演じるか、期待していた。
ロック・ミュージシャンの伝記的な映画は、その人が亡くなってからつくられていることが多い。健在ならば、クレームを受けやすい、という問題もあるだろう。
ボブ・ディランは、いまもライブ活動をしている。そして、あの顔は見るからに気難しそうだ(笑)。
「OK」をとるのも大変だったのではないか、と想像してしまう。よくぞ映画化してくれたものだ、とおもう。
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1960年代初頭、後世に大きな影響を与えたニューヨークの音楽シーンを舞台に、19歳だったミネソタ出身の一人の無名ミュージシャン、ボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)が、フォーク・シンガーとしてコンサートホールやチャートの寵児となり、彼の歌と神秘性が世界的なセンセーションを巻き起こしつつ、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでの画期的なエレクトリック・ロックンロール・パフォーマンスで頂点を極めるまでを描く。
(「公式サイト」より)
https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown
→公式サイトには「予告編」以外の動画もあります。
ボブ・ディランの初期の名曲が次々出てくる。飽きる暇がない。字幕もつくので彼が何を歌っているのかもわかる(字幕がついてもわかりやすい歌詞ではないが)。素晴らしい!
全曲、主演俳優のティモシー・シャラメが歌い、演奏しているという。ディランの音楽は、あの独特の声に存在感があるので、映画での歌の役割が非常に重要になる。それをティモシー・シャラメの歌と演奏は、裏切らない。正直、おどろいた。
映画のはじめティモシー・シャラメのボブ・ディランが、ギターを背負ってニューヨークへやってきたとき、違和感もあった。しかし、映画が進むうち違和感は消えて、彼の表情や動きに目が離せなくなった。
みごとなティモシー・シャラメのボブ・ディラン!。
ストーリーは、これまで本やドキュメンタリーでわたしたちが知っている「ディラン伝説」をそのままなぞっている。新しい発見や解釈はない。
でも、それに不満は感じなかった。
ティモシー・シャラメの演じる「ボブ・ディラン」の歌を聴いているだけで幸せになる。
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ボブ・ディランが「フォークのプリンス」として、強い支持と尊敬を受けながら、なぜ1965年、ロックを演奏して、フォーク・ファンのブーイングを浴びたのか。
その動機はなんだったのか。
推測の範囲を出ないが、次のいずれかの要因(もしくはその複数)が考えられる、といわれている。
◯ハーモニカと生ギターで歌う。その楽器的な制約に限界を感じた、という説。
◯歌と演奏──をひとりでできる「フォーク」を、デビューの足がかりにしただけ、という説。
◯もともと彼はリトル・リチャードが好きで、ピアノを叩きながらロックを演奏していた、そのロックへ回帰しただけ、という説。
◯彼はアメリカ政府を批判して反戦歌を歌った。それが予想以上に大きな反響を起こし、「反戦主義者」の先頭に立たされた。のちにキング牧師に起こったような「反対分子」からの「攻撃」を怖れた、という説もある。
映画『名もなき者』では、その動機・要因を特定していない。ただ観客をその「伝説的な場面」に立ちあわせてくれる。
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ここで描かれるフォークのファンたちは、アメリカ政府のベトナム戦争や黒人の人種差別に反対する人たちだった。
「保守」と「リベラル」に分ければリベラル派。
その彼らは、「ロック」を商業主義として低く見ていた。蔑んでいた、といってもいい。
だからボブ・ディランがエレキ・バンドを従えロックを歌ったとき、商業主義に魂を売った「裏切り者」と捉え、激しく非難した。
ディランの変化を受け入れる柔軟さがなかった。
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日本にもフォーク・ブームははいってきたが、ボブ・ディランは人気なかった。もっと声のきれいな、ハモりの美しい歌手に、フォーク・ファンの人気が集まった。
たとえば、「風に吹かれて」も、ディランの歌ではなく、ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリーなどのカバーがラジオで流れていた。
ディランのロック時代の代表的ナンバーといわれる「ライク・ア・ローリング・ストーン」が発表されたのは1965年。わたしがラジオで聴いたのは、少しあとかもしれない。
メロディに抑揚がない。お経みたいに言葉を羅列する歌い方に「こんなのありか!」と好奇心でいっぱいになった。
そんなことを思い出す。
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映画『名もなき者』が終わる。
Sさんが、「よかったねえ」を、何度も繰り返していた。
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(以下の、2つのライブ・シーンは、映画『名もなき者』でも、ティモシー・シャラメ演じるディランで再現される)
1965年「ニューポート・フォーク・フェスティバル1965」の「マギーズ・ファーム」。ガンガン、エレクトリック・ギターが鳴り響く。気持ちがいい。
ブーイングが続くさなか、一度退場したボブ・ディランは、アコスティック・ギターに持ち替え再登場、決別の歌「It's All Over Now, Baby Blue(すべてはおしまい)」 を歌った。これを最後に、翌年からこのフォーク・フェスティバルには出演していない。