3月24日㈪。曇り。
仕事へいく途中のSさんに川越駅で降ろしてもらい、わたしは文京区本郷三丁目の「CS眼科」へいく。
4月11日に「斜視」の手術を受ける。その前検査のため。
これまでずっとクルマの運転してきたが問題はなかった。なのに「泥酔転倒自損事故」以来、目の焦点があいにくくなっている。
診断を受けた結果、「斜視の手術」をすれば運転できるようになるかもしれない、というので受けることにした。手術は局部麻酔で、その日に帰れる──。
手術前検査は、待ち時間を含めて1時間半くらいで終わった。あとは4月11日。
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「CS眼科」のある「本郷三丁目」駅は、「本郷菊富士ホテル跡」が近い。駅前の地図で場所の確認をして、いってみる。
以前、東京大学の方から菊坂通りをくだって「本郷菊富士ホテル跡」へ行こうとしたら、見つからなかった。近くを通っているはずなのに、とうとう最後までわからなかった。
今回は駅前地図を写メに撮ってからいったので、さすがに到着した。
「目けんとう」ではわからないはずだ。マンションの裏、どんづまりのようなところにある。
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ここ半年くらいに、近藤富枝『本郷菊富士ホテル』、瀬戸内寂聴『鬼の栖(すみか)』、宇野浩二『思い川』を読んだ。
3冊とも、このホテルを舞台に、クセある人間関係や男女の愛憎を描いている。
「本郷菊富士ホテル」は一種の「高級下宿」。大正から昭和にかけていろいろな文士、哲学者、画家、アナキストなどが住んでにぎやかだった。
宇野浩二の場合、住まいは別にあった。「菊富士ホテル」は原稿書きの仕事場として使っていた。同時に小説『思い川』のモデル・八重との「逢瀬の隠れ家(かくれが)」でもあった。
以前にも「ウィキペディア」から引用したけれど、もう一度ここに滞在した人たちをあげておくと⋯。
宇野浩二
宇野千代
尾崎士郎
直木三十五
広津和郎
竹久夢二
谷崎潤一郎
宮本百合子
坂口安吾
大石七分
大杉栄
伊藤野枝
高田保
正宗白鳥
三木清
など
1945年(昭和20年)3月10日、「本郷菊富士ホテル」は東京大空襲で焼失した。
ホテルの跡には、窮屈そうに石碑が立っている。
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
という松尾芭蕉の有名な俳句を実感する。
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30秒ほどの短い映像がネットにあったので貼っておきます。