6月1日㈰。
トミ坊(ミトミ君)が住んでいる京成線「堀切菖蒲園駅」へ、Sさんと行く。
トミ坊の運転で葛飾区周辺を案内してもらう予定。
これまで柴又に行くのはいつも京成電車だったので、クルマでまわるのははじめて。
11時に堀切菖蒲園駅でトミ坊と合流する。
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はじめに寅さん映画『男はつらいよ』の舞台である葛飾柴又へいく。
停められる駐車場をさがして無事駐車。歩いて「帝釈天」へ。
「柴又帝釈天」──正式の名称は、「経栄山題経寺」。寅さんシリーズでは「帝釈天」で通している。笠智衆は、この寺の住職の役。独特な語り口で、シリーズの重要なバイ・プレイヤーになっている。
帝釈天の境内をぬけて「山本亭」の庭園を見る。見学の人が多いので、日本家屋のなかをひと回りして外へ出た。
野外を歩いていると、やや暑いくらいの天気。
ベンチで休むと風が気持ちいい。小高い公園があって、そこから江戸川が見える。
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江戸川の対岸は、千葉県の松戸市。
川を渡るには、映画や演歌で知られる「矢切の渡し」の舟が利用できる(片道:200円)。川幅は約150メートル。
いまも舟が向こう岸に停まって、柴又までもどる客を待っていた。
対岸の松戸市は、伊藤左千夫の名作『野菊の墓』の舞台。この小説のなかに登場する人物・政夫も「矢切の渡し」を使って松戸市と東京を行き来する。明治のころは東京へ出る交通機関として実用に、現代は観光用に利用されている。
わたしも以前「矢切の渡し」で江戸川を渡り、『野菊の墓』文学碑まで歩いたことがある。文学碑があるのは、西蓮寺。岸から歩いて20〜30分かかったか。
小説『野菊の墓』が発表されたのは、明治39年(1906)。松戸市の農村・旧家が物語の舞台。
政夫(数え15歳)と民子(数え17歳)は、従姉弟(いとこ)同士。政夫は本家、民子は分家の子。
幼少の頃から仲良く育てられた。15歳と17歳になっても仲がいい。それがやっかみもあって、「ふしだらだ」と近隣の噂になる。
ほっといたら、早晩まちがいを起こすだろう、という。
「女性が2歳上」──というのも当時の風習として受け入れがたいようだ。
時代は明治の農村、隣り近所の目がうるさい!
東京の政夫(学校の寮にいる)には知らされぬまま、民子は他家に嫁がされてしまう。
心ない人々の陰口が相愛の男女を引き裂いていく悲恋の物語。
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『野菊の墓』を映画化したのが、木下恵介監督『野菊の如く君なりき』。昭和30年(1955)の作品。
民子を演じた有田紀子が可愛い。
木下恵介監督は、映画の舞台を千葉県から自然にかこまれた信州(長野県)に移している。
その効果は抜群で、山河を背景にした白黒映像が非常に美しい。日本映画の名作のひとつ。
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「寅さん記念館」へ入ると「とらや」さんのセットがあって、店番の寅さんが居眠りしている。
前日、せっかく柴又へいくのだから、といって、Sさんと『男はつらいよ 忘れな草』を「Amazonプライム」の配信で見た(何度も見ているので途中まで)。シリーズ第11作目。昭和48年(1973年)の作品。
特に『忘れな草』を選んだ理由はない。「男はつらいよシリーズ」のどの作品でも、帝釈天や参道、そしてだんご屋「とらや」さんのお店を見ることができるから。
『忘れな草』は、マドンナのリリー(ドサ回りのクラブ歌手)がはじめて登場した作品。リリーを演じたのは浅丘ルリ子。
リリー役の浅丘ルリ子がいい。
テキ屋の寅さんとドサ回り歌手のリリー。定住することなく、旅から旅へさすらうふたりの出会い。
この作品以降、リリーは寅さんシリーズで一番人気のマドンナになった。
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クルマにもどって、水元公園へいく。
駐車場が混んでいて、やっとはいれた。思っていた以上に広い。緑が多くて、広い水辺がきれい。しかし、水辺に沿って歩いてもベンチがない。柴又ではわりと元気に歩いたが、あまり体力が残っていない。適当に水辺を見て、クルマへもどる。
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いったんトミ坊の家へもどり、駐車場へクルマを置いてから、堀切菖蒲園まで歩く。これがめっぽう遠かった。
通りや路地を曲がっても曲がってもまだ着かない。
トミ坊に「まだかい?」と聞くと「もうすぐですよ」という。それを何回繰り返したか。
「おまえはオオカミ老人か!」と心のなかでののしる。
トミ坊は、Sさんとわたしより10歳下。体力の差を感じる。
Sさんもわたしも、限界に近く体力を消耗したころ、やっと堀切菖蒲園に着いた。園内にあるベンチにSさんとわたしは倒れ込むように座る。
トミ坊が自動販売機から水を買ってきてくれた。
菖蒲はだいぶ咲いてきているが、ピークまではもうひと息──そんな感じだった。
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途中にあった中華屋さんまでもどり、Sさんはアルコールがダメなのでコーラ。トミ坊とわたしは冷えたビールを渇いた喉に流し込む。