6月12日(木)。
「新宿武蔵野館」へ、ダニエル・ヘースル、ユリア・ニーマン監督『我来たり、我見たり、我勝利せり』を見にいく。
1時間くらい早く新宿駅へ着いたので、駅地下にある「カレー・ショップ」で、カレー&コーヒーのお昼。しばらく上映時間まで本を読む。
川本三郎さんの新刊『荷風の昭和』(Kindle版)。上下巻なので、当分はこれに専念することになりそう。
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12時45分から『我来たり、我見たり、我勝利せり』はじまる。
「狩り」と称して人間を狙撃するエレガントな億万長者の姿を通し、資本主義の終末的世界をシニカルなユーモアで描いたオーストリア映画。
(「映画.com」)
テーマはおもしろそうだったが、着地点が途中で見えてしまう。話の広がりがない。
主人公は、室内(居間のようなところ)にプールがあるような大金持ち。
ただ、プールからあがって室内をビシャビシャと歩く。掃除する使用人がいるからいいんだろうけど、床が水浸し。足の裏が気持ち悪そうだ。
億万長者の趣味が「狩り」。
しかし、狙うのは動物ではなく人間。人間をマトに狙い撃つ──それを主人公は「狩り」と呼んでいる。
「狩り」が「殺人」であることを周辺の人たちは薄々気づいているが、大富豪を咎めるものはいない。それは警察組織も同じ。捜査はするが、すぐに無罪になってしまう。
大富豪の男はやりたい放題。富があれば怖いものなし。富あるものの特権。
後半、その娘も「狩り」の楽しさ、快感を知る。父の趣味を引き継ぎ、大胆な射撃手に成長していく──。
言いたいテーマはわかるけど、ストーリーに膨らみがない。
映画で一番印象に残ったのが、バックに流れる音楽。クラシックのなかにスキャットがはいる。それがへんに怖い。人の声が不気味な効果をあげている。
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立ち飲み屋に寄らず、川越へまっすぐ帰る。まだ駅の階段の上下に不安があるので。