「日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なきことの三事なり」(永井荷風「断腸亭日乗」昭和11年2月14日)
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7月2日(水)。
午前8時30分、川越警察署に行き、免許更新の手続きを終了する。
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川本三郎さんの『荷風の昭和』は、永井荷風の日記「断腸亭日乗」を読み解く興味深い本。
『断腸亭日乗』(だんちょうていにちじょう)=永井荷風の日記。1917年(大正6年)9月16日から、死の前日の1959年(昭和34年)4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物としても、近代史の資料(敗戦日記)としても、荷風最大の傑作とする見方もある(「wikipedia」より)。
「断腸亭日乗」には、日記だからこその公(おおやけ)に忖度しない自由さがある。人目に触れるとまずいことも日記なら言える。
けれど文章は文語体。わたしのように古文・漢文の素養がないものは、長く読み続けていると疲れる。スラスラとは読めない。何度か挑戦して挫折したし、原文はいまだ完読していない。
しかし、よい本をみつけた。永井荷風の愛読者であり、研究者でもある川本三郎さんが、「断腸亭日乗」を読み込み、荷風の心情に思いを馳せたのが『荷風と東京:「断腸亭日乗」私註』上下巻本。1996年に出版されている。
この本で「断腸亭日乗」の概観をたどることができた。
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さらに、2025年5月になって川本さんは『荷風と昭和』上下巻本を刊行する。
再び「断腸亭日乗」を中心に、関連する荷風の小説も読み解きながら「昭和」という激動の時代を荷風がどう生きて何を思ったかに焦点をあてた。
(じつは荷風だけでなく、さまざまな作家の小説や歴史書が引用されている。川本さんの引用の多様さにはいつもおどろいて、そのタイトルをメモるだけでも容易でない)
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軍国国家に傾斜していく昭和の日本。政府も軍人も戦争へ突き進む。そして国民もそれを熱く支持した──つまりは、荷風はむやみと威張り散らす軍人を嫌ったが、軍人だけが戦争に前のめりだったわけではなかった。
戦争に熱狂する国民について、荷風は書く。
◯昭和7年3月2日。
「午後笄阜子(けいふし)来り訪はる、昨夜溜池あたりかと思ふ方角より、人の大勢叫ぶ声聞えたれば何事なりしやと問ふに、笄阜子(けいふし)曰く、それは大方麻布連隊の上海に出征するを、沿道の市民の声を揚げて見送りしものなるべし」
麻布連隊が上海に出征するのを市民が熱狂的に送っている様子が記されている。
続いて⋯⋯
◯昭和7年3月4日。
「銀座通商店の硝子戸には日本軍上海攻撃の写真を掲げし処多し、蓄音機販売店にては盛(ん)に軍歌を吹奏す、時に満街の燈火一斉に輝きはじめ全市挙(こぞ)って戦捷(せんしょう)の光栄に酔はむとするものの如し、思ふに吾国は永久に言論学芸の楽土には在らず」
「吾国は永久に言論学芸の楽土には在らず」──街が「戦勝ムード」に沸く。燈火がいっせいに灯され、軍歌が鳴り渡る。荷風の苦々しい思いが伝わってくる。
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「二・二六事件」が起る2日前の「断腸亭日乗」には、こんな感想が書かれている。
◯昭和11年2月14日
「日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なきことの三事なり」。
川本さんは、「『二・二六事件』の直前に、ここまで日本の軍国主義を冷静に見ていた知識人はそう多くはないだろう。『二・二六事件』を予見していたともいえる」──と書いている。
註:「二・二六事件」とは?
1936年(昭和11年)2月26日、「二・二六事件」が発生しました。陸軍の青年将校らが天皇中心の軍事政権をめざし、高橋是清大蔵大臣をはじめ重要閣僚ら9人を殺害。日本の中枢を4日間にわたり占拠しました。
この事件を機に軍部の力が拡大し、日本は太平洋戦争へと突き進んだといわれています。(「NHKアーカイブス」より)
さらに荷風は記す。
政党の腐敗も軍人の暴行も之を要するに一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起ることなり。然り而(しこう)して個人の覚醒は将来に於てもこれは到底望むべからざる事なるべし。
軍国国家への道をたどる昭和11年の日本。永井荷風の厭戦思想を公的な出版物に発表するのは厳しくなっていたと思われる。
非公開の「断腸亭日乗」に記す意味が増してくる。荷風は日記のなかに率直な感想を書きとどめた。
「個人の覚醒は将来に於てもこれは到底望むべからざる事なるべし。」
戦争へ熱狂する国民に、荷風は手厳しい。「国民が英知に目覚める」なんてことは、将来においても到底期待できないだろう、と希望を放棄している。