
9月30日火曜日。
「池袋HUMAX」へ、『ザ・フー キッズ・アー・オールライト』を見にいく。
池袋へ出るなら「豊島区中央図書館」で映画上映前の時間を過ごそうと思い、仕事へいくSさんに川越駅で降ろしてもらう。久しぶりの東京ひとり散歩。
川越(東上線)→和光市(有楽町線乗換え)→東池袋駅と乗り継ぐ。
映画がスタートするのは13時10分。
この図書館から「池袋HUMAX」までのコースを歩くのははじめてなので、たっぷり歩く時間をとって12時30分に出発とする。それまで1時間30分くらい本を読もう。
Kindle端末を持参なので図書館でなく喫茶店でもいいのだけれど、1時間以上腰をすえるとなると、図書館の方が落ち着く。
向田邦子の『蛇蝎(だかつ)のごとく』を読む。小説ではなく、ドラマのシナリオ。
今年の1月くらいに、Netflixで向田邦子脚本、是枝裕和監督で『阿修羅のごとく』をやっていたが、四姉妹がそれぞれの男性とからんで引き起こす、ちょっと苦みの混じった、しかし笑えるドラマだった。
『蛇蝎のごとく』は、妻子ある中年男性と若い女性の恋愛を軸に、その周囲にいる人たちが振り回される話で、登場人物たちはみな深刻なのに、読む方は笑える──この辺のさじ加減がこの作家はうまいなあ、と感心してしまう。
向田作品には「昭和」の香りがする。
ドラマの舞台が──登場する人間たちが──その人生観が──古くさくて、懐かしい。
★
図書館での本読み時間は楽しかったが、それからがマズかった。はじめて歩くコースなので時間は40分とってあったが、途中でちょっと近道しようと路地に入ったのが失敗だった。
ヤマカンで歩いているうちに、完全に迷子になってしまった。
「映画の上映まで間にあわないかもしれない」とあきらめかけたとき、立ってボンヤリ(わたしにはそう見えた)街の様子を眺めている男性がいたので、スマホの地図を見せて映画館への道を聞いてみる。
池袋駅はここを左だから、交差点を左折して「ニトリ」が見えるまでずっと歩いていってください。その裏あたりに目的の映画館はあるはずです──と親切に教えてくれた。
歩いていく途中、「東池袋」の「高速出入り口」付近に交番があったので寄ってみた。大きな地図を広げて教えてもらう。
上映時間に間に合いそうでホッとする。
★
『レッド・ツェッペリン〜ビカミング』見てから2日後の9月30日。今度はザ・フーの映画『ザ・フー 〜 キッズ・アー・オールライト』を見た。
1964年のデビューから78年までの代表曲のライブパフォーマンスを中心に、プロモーションフィルムやインタビュー映像、さらに32歳で夭逝した伝説的ドラマー、キース・ムーンが亡くなる約3カ月前の78年5月にシェパートン・スタジオで撮影された最後のパフォーマンスも収録。本国イギリスではキース・ムーン死後の79年、ザ・フーのアルバム「四重人格」を原作とする映画「さらば青春の光」と同時公開された。メンバーのジョン・エントウィッスルが音楽監督を務めた。
日本では長らく未公開のままだったが、2025年9月に全曲歌詞字幕付きのHDレストア版にて劇場初公開。
(「映画.com」から)
「ロックは既成概念を破壊する音楽」
という言葉をもっとも端的に表現しているバンドは、ザ・フーではないか。パンク・ロックの元祖ともいわれている。
ライブでは、ステージで暴れまくる。楽器を破壊する。わたしはむかし、ザ・フーの破壊行動が理解できなかった。
今は⋯⋯どうだろう?
今でも完全には理解できていない。
でも「固定観念や既成概念にとらわれず、自由に生きよう!」というロックの根底にある精神を象徴していると考えれば、わからなくもない。
「もっと激しく痛烈に!」──音楽を聴くとき、10 〜 20代のわたしは、ロックにそれを求めていた。
★
映画は新しく作られたものではない。1964 〜 1978年の代表的なライブ・パフォーマンスを集めたもの。ドラムのキース・ムーンが亡くなるまでの、ザ・フーの全盛期のライブを堪能できる。
- ピート・タウンゼント(ギター)
- ロジャ・ダルトリー(ボーカル)
- ジョン・エントウィッスル(ベース)
- キース・ムーン(ドラムス)
ロックは、通常ボーカルとギターがメインで、ベースとドラムがサポート的な楽器になるが、ザ・フーは逆。
キース・ムーンのドラムは、リズム・キープではなく、バンドの中心で暴れまくる(笑)。「リード・ドラム」という言葉があるかどうか知らないが、あるとしたらそれ。
ジョン・エントウィッスルは、リード・ギターでも弾くようにベースを速弾きで演奏する。この「リード・ベース」奏法もザ・フーの特徴の一つ。
バンドの作曲家であり、リーダーであるピート・タウンゼントは、リズム隊が暴れまくるので、リズム楽器のようにギターでそれをサポートしていく。サポートといってもおとなしくはない(笑)。ある意味自由にギターを演奏する。
ボーカルのロジャー・ダルトリーは、3人の楽器の音に負けない声量で歌うが、目立ちたがり屋ではない。
「ピートがつくる曲を、おれは歌うだけ」──とむかし何かのインタビューで答えていたが、それだけピート・タウンゼントの作り出す楽曲を信頼しているのか、と思いながらそれを聞いた。
1964年、日本でビートルズが登場したとき、オカッパ頭を長髪で不潔とされ、音楽は騒音として毛嫌いされたが、そんな日本の土壌に、はじめザ・フーは受け入れられなかった。
本国イギリスに比べて、日本ではしばらくマイナーな存在だった。
それはそうだろう、と思う。
ビートルズを、日本社会は若者を堕落させる不良の音楽として、1966年ビートルズの日本公演へ行くことを禁止した高校もあった。
ハガキの抽選でやっと手に入れたチケット──わたしは腹痛とかなんとかウソをいって学校を早退。コンサートへ行った。
「あとでバレて退学になってもかまわない、絶対に行く」と覚悟していた。
そんな時代に、もしザ・フーが来日したら、日本の社会はどういう反応を見せたかと笑ってしまうが、ザ・フーは来なかった。
ザ・フーが初来日したのは、1966年6月にビートルズが来日してから、なんと38年後──2004年の7月。
このとき、すでにオリジナル・メンバー二人(ドラムスとベース)が亡くなっていた。
この映画『キッズ・アー・オールライト』がイギリスでは1979年に劇場公開されながら、日本での劇場公開が今になったのは、ザ・フーの当時の日本での人気に原因があったかもしれない。
2025年──ザ・フーを大きな劇場で体験できる幸せをかみしめながら、彼らのライブに没頭した。
★
「サマータイム・ブルース」(1967年)