
3月22日(日)。
川越から和光市までSさんと同行。Sさんは、友人が新しく猫(四ヶ月)を飼った。その猫とコスモ(ゴールデン・レトリバー)が共存している生活を見にいく、というので、和光市(埼玉県)で別れる。
地下鉄の副都心線で渋谷へいく。「ユーロスペース」でやってる浜野佐知監督『金子文子 何が私をそうさせたか』を見るため。初めて副都心線を利用したがJR池袋駅で乗り換えるより楽に行けた。
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この映画を見るかどうかずっと迷っていた。見ないことにしようと決めたときもあった。でも、金子文子という女性にはずっと興味がある。どうも気になってしまう。やっぱり見ることにした。
管野すが、伊藤野枝、金子文子──100年前に権力と闘って憤死した女性たちである。この勇敢な女性たちについては、何冊か本も読んだ。
以前、韓国映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』(イ・ジュンイク監督。2019年公開)という映画を見たこともある(→最後に映画の予告編を貼っておきます)
(註:「朴烈」を『金子文子と朴烈』では「パクヨル」としていたが、今度の『金子文子 何が私をこうさせたか』では、「ぼくれつ」と呼んでいる)
一時期見ないことにしたのは、予告編がわたしにはあまりにもおおげさに見えたから。こういう大声で叫ぶシーンが連続すると、映画の内容に共感する前に、気持ちがひけてしまうのではないか、と思ってしまった。
【予告編】
【解説】
約100年前に日本の国家権力に全力で抗った虚無主義者・無政府主義者の金子文子を主人公に、死刑判決から獄中での自死に至るまでの121日間を描いた伝記ドラマ。「雪子さんの足音」などの女性監督・浜野佐知が、金子文子の生の声を伝える短歌をもとに、彼女の孤独な闘いを描き出す。(映画.comより)
金子文子の手記『金子文子 何が私をこうさせたか』によると、文子の父は、女性にだらしがなかった、という。さまざまな女性と関係があったが、一時、家に身を寄せていた妻の妹とも恋愛関係になり、二人は家を出て、別に生活をはじめてしまう。
夫に家を去られた文子の母も、新しい男を家に連れてくる。その男が去ると、また違う男がやってくる。
母は、文子よりも同居している男を大事にする。文子が男から暴力を受けてもかばってはくれなかった。
そして朝鮮にいる父方の祖母の家へ引きとられていくが、この祖母が最悪だった。扱いは女中以下、何か失敗があると、厳しい折檻を受けた。文子はいっとき自殺を考えるまでになるが、自分を虐待してきた人々への復讐のために、思い留まる。祖母への憎悪が、文子の人間不信を決定づけた。
(註:この憎まれ役の祖母を吉行和子が演じている。)
肉親から愛情を得られない──人間憎悪で膨らんだ文子を、虚無主義・無政府主義という知的な方向へ導くのが朝鮮人・朴烈(ぼくれつ)である。金子文子の手記『金子文子 何が私をこうさせたか』は、はじめて心を許せる同士・朴烈との出会いで終わっている。
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映画『金子文子 何が私をこうさせたか』は、金子文子の手記と同名タイトルではあるけれど、原作ではない。手記の内容は、背景に短いシーンとして時々出てくるが、映画のメインは、金子文子の獄中での121日の激烈な闘いである。
死刑判決の宣告に「万歳!」を叫び、「死刑」から「無期懲役」に減刑されると、慈悲深い天皇の恩赦だ、といわれ「ふざけるな!」といって、紙をビリビリ破り棄てる。
刑務所の所長は、なんとか文子に転向文を書かせて、刑務所暮らしを改善させようと苦心する。しかし、頑なまでに頑固に跳ね除ける。
<一部の権力者が、この国を支配し、国民は高い税の徴収に苦しみ、あげくは国家のために生命を投げ出さなければならない>──そういう天皇制国家に屈服することはできない、という金子文子にわたしは共感と敬意を感じるが、人間としての葛藤や迷いが描かれていないのはどうなのか。万事キッパリし過ぎている。だからか、金子文子という人間に親しみを感じにくい。
刑務所の所長や女性の看守が、分からず屋の囚人に手こずっているだけ、のようにも見えてしまう。
最初に予告編を見たときの不満は、本編を見ても解消されなかった。
(註:あっ、それから若い頃、ユニークな女優でいいなあ、って思っていた洞口依子【どうぐち・よりこ】が出ていたが、あとでクレジットを見るまで全然彼女とわからなかった)
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午後4時過ぎ、川越駅でSさんと合流する。図書館に本が3冊届いていたので、受け取りにいく。
歩きながら、コスモ(ゴールデン・レトリバー)と新しくやってきた猫の共同生活ぶりを、Sさんに聞いてみた。
「コスモは、ソファにおとなしくすわりながら、新しい闖入者を静かに見ている──それが可愛かった」と、Sさんはスマホで撮った映像を何枚か見せてくれた。
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韓国『金子文子と朴烈』予告編