
3月15日(日曜日)。
朝、「ご飯だよ」とSさんに呼ばれる。
わたしは宵っ張りなので、午前2時 〜 3時くらいまで起きている。まだ眠い。朝は苦手。でも、朝食後にクスリを9錠飲まなければならない。
起きていくと、Sさんがテレビの録画で「英雄たちの選択」という番組を見ていた。とりあげられているのは夏目漱石。わたしは漱石が好きなので、朝メシのパンをかじりながら見ていた。
内容的には、夏目漱石が学習院でおこなった講演「私の個人主義」をとりあげ、「国家主義」よりも「個人主義」を優位に置く、漱石の考え方を解説している。
わたしも、一応は昔に読んだことがあるので、記憶を呼びもどしながら見ていた。
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夏目漱石が、この講演(「私の個人主義」)をおこなったのは1914年(大正3年)。日本政府は、国家体制の強化に力をいれていた。
講演の3 〜 4年前に「大逆事件」(1910 〜 1911年)が起きている。
「天皇の暗殺を計画した」として幸徳秋水、管野須賀子以下12名がろくに審議もされず処刑された。
「暗殺を計画した」だけで死刑の判決を受けた「大逆事件」は、言論界を震撼させる。
漱石が、「国家」より「個人」を優位に──と説いたのは、そんな時期だ。当然「大逆事件」のことは頭のなかにあったろう。
そうした配慮なのか、講演「私の個人主義」で、漱石は「個人主義」の考えにたどりつくまでの過程を、丁寧というより、やや回りくどく説明している。
そして、国家主義を断定的に否定する論調は避けて、ユーモラスに説明している。
例えば、こんな風に、、、
今日の午(ひる)に私は飯を三杯ばいたべた、晩にはそれを四杯に殖ふやしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。正直に云えば胃の具合できめたのである。しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、否観方(みかた)によっては世界の大勢に幾分(いくぶん)か関係していないとも限らない。しかしながら肝心(かんじん)の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。
「国民主権」が「日本国憲法」に定められたのは、太平洋戦争後の1946年(昭和21年)。
漱石の「個人主義」が憲法の「国民主権」とぴったり重なるかどうかわからない。が、漱石は、世の趨勢に逆らって、「日本国憲法」が制定されるより32年早く、「国家」よりも「個人」を優先すべきだ、と講演している。
夏目漱石は、先のあるべき方向が見える人だった、と思う。
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ここから突然現代の話になるけれども、いま自民党や参政党から出されている「改憲案」をみると、この「国民主権」を「国家主権」(もしくは「天皇主権」)にもどそうという趣旨が見受けられ、怖い。
「共謀罪」や「スパイ防止法」も使い方によっては、悪名高き「治安維持法」の復活になるかもしれない。
国会の議席は、2/3以上が改憲派ばかりだし、この先どうなるのか。