かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

山田洋次監督『東京家族』(公開中)



先週の土曜日、1月19日の公開初日に見る。


小津安二郎監督の名作に山田洋次が取組む、それを聞いたときから、ずっと楽しみにしていた。


東京家族』は、隅々に小津安二郎監督の『東京物語』の痕跡を残しながら、現代版として作り直されていく。オリジナル作品をなんども見たものとしては、違和感がなくもない。しかし、その違和感は十分承知のうえで、山田洋次監督は、リメイクしたのだろう。


小津安二郎作品のテーマはこうだ。


東京で暮らす子供たちのところへ両親が訪ねてくる。子供たちは、自分たちの生活が忙しく、気持ちはあっても、なかなか落着いて接待できない。亡くなった次男のお嫁さんだけが、ひとりものの自由さもあって、東京見物をさせてくれたり、泊まるところのなくなった母を一泊させてくれたりする。


「血をわけた子供たちよりも、いわば他人のあんたのほうがよくしてくれた」という、笠智衆のセリフがこの物語の主題を端的にあらわしているようにみえる。


しかし『東京物語』の子供たちは、それほど両親に冷たかっただろうか、という疑問がわたしにはあった。


リメイク版をみると、そのことがもっとはっきりする。子供たちの両親への扱いは、現代のなかにおくと、ほんとうにごくふつうで、冷たくもなんともない。みんなそれぞれの暮らしがあって、なかなか時間が自由にならないだけだ。


山田洋次監督もそれに気づいている。小津版『東京物語』のテーマはなかなかリメイクの主題になりにくい。そこで、小津版では戦死している次男の昌次を、新たに創出した。


昌次は、将来性の不安な職業について、親の思い通りにならない。父の子供への不満は、ほとんどこの昌次に集約されている。


小津作品では「子供たちは、もうちょっとどうにかなる、とおもっていた」と、笠智衆がいう。しかし、長男は開業医、長女は美容院の経営者、三男は国鉄職員、次女は地元で小学校の教員・・・これで親が子供に不満だったら、欲が深すぎるだろう。


これを現代版でなぞってみても、親の子供への不満はピンとこない。そこで昌次の存在が、消えてしまったテーマの代わりに必要になる。


昌次は、子供のころから父親の頭痛のタネだった。いまも安定した職についていない。これからの若者が生きるに厳しい現代に、昌次はどうやって生きていくのだろう・・・という親の心配がきわだってくる。オリジナル『東京物語』にはなかったものだ。


その親の心配を少し和らげてくれるのが、紀子(蒼井優)で、この優しく聡明な女性がそばにいてくれたら、昌次の将来もなんとかなるかもしれない、と父親は安堵する。


小津版『東京物語』では、未亡人紀子(原節子)の優しさに感謝し、これからは戦死した息子のことを忘れて自由に生きてほしい、と父の笠智衆は紀子への「別れ」を告げる。山田版『東京家族』では、息子の伴侶として橋爪功の父が、次男の恋人蒼井優の紀子を受け入れて終わる。


ここが一番のちがいかもしれない。