かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

映画『ロケットマン』とマンガ『美は乱調にあり』(9月4日)。

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映画『ロケットマン』。




9月4日、水曜日。晴れ。


炎天下、歩いていける「イオンシネマ板橋」へ、エルトン・ジョンを描いた映画『ロケットマン』を見にいく。


はじめにいってしまうと、わたしはエルトン・ジョンにほとんど興味がない。なので行くかどうか迷っていたところ、よく行くトンカツ屋さんに「もう見ましたか?」といわれて、以前エルトン・ジョンのライヴDVDも借りているので、迷った(笑)。


ロック好きなマスターとの話のつながりもあるし、やっぱり見ることにした。



ファンの方には、味気ない感想になりそうなので、ファン目線できちんと書いてある「つるひめさんのブログ」を先に紹介させていただきます。エルトン・ジョンの人や音楽に関心や興味があれば、わたしのほうは、飛ばしてこちらを読んでください。

「映画『ロケットマン』を観て来ました」。
https://tsuruhime-beat.hatenablog.com/entry/2019/09/06/180901?_ga=2.62743919.2120414668.1568025382-562926823.1450316117


人気スターの虚と実。


華やかなステージにいる自分は自分であって自分ではない。大勢のファンのなかにいながら、ほんとうの自分は誰にも理解されていない。


「このままでは自分を見失ってしまうのでは」という焦燥感と孤独が、この映画の柱になっている。


しかしこのテーマ、いまや既視感で、いっぱい。そして、おきまりの薬と酒への逃避。


ロック・スターの伝記映画では、ほとんど定例みたいなストーリー展開。


しかも、わたしはロック・スターのド派手な衣装には興味がないだけでなく、むしろ気持ちがひいてしまうタイプ。エルトン・ジョンは、わたしがイメージするロック・スターとはちがう。


あとは彼の音楽への共感度ということになるけれど、わたしは音楽にも惹かれたことがない。最後まで見るのが少しきつかった。



映画を見てから、「コメダコーヒー」へ寄り、モーニング・コーヒーとトースト。


原作・瀬戸内晴美、マンガ・柴門ふみの『美は乱調にあり』電子書籍で読む。


美は乱調にあり

美は乱調にあり


じつは前に瀬戸内晴美の『美は乱調にあり』を読み出したが、取り寄せた古書の文庫本の活字がちいさかった。なかなか先にすすまない。それで、紫門ふみのマンガのほうへ先に切りかえた。


『美は乱調にあり』は、大杉栄とともに官憲から虐殺された伊藤野枝のものがたり。伊藤野枝大杉栄のものがたりといってもいいかもしれない。


しかし、瀬戸内晴美の原作はどうかわからないけれど、このマンガを読むかぎりでは、大杉栄伊藤野枝の思想に焦点をあわせた、というより、大杉栄と彼を取り囲む女性3人の愛憎のものがたりといったほうがぴったりする。


大杉栄は、妻がいるが、女性にも自分と同等の自立と知性を求めて、インテリの神近市子を愛し、平塚らいてうから雑誌「青鞜」を引き継いだ編集者・伊藤野枝にも惹かれていく。


社会主義者大杉栄は、「フリーラブ」を提唱する恋多きひと。しかし、「フリーラブ」の現実は、激しい愛憎劇の連続で、大杉栄が、神近市子から刺されるという刃物沙汰にまで発展する。


この事件があって、神近市子は愛人の地位から一歩退く。伊藤野枝が、恋の勝負では勝ったようだが・・・。


そして、というより、それがために伊藤野枝は、大杉栄(彼の甥・橘宗一<6歳>もいっしょにいたため殺害された)とともに、官憲の手により絞殺されることになる。


神近市子は、その後参議院議員を5期つとめ、1981年に、93歳の天寿をまっとうした。