ビートルズ
離婚後も仲のよかった、ジョージとパティの最後のツー・ショット(2017年、銀座の「パティ・ボイド写真展」より)。 ★ ジョージ・ハリスンとパティ・ボイドは、1964年のビートルズの映画『ハード・デイズ・ナイト』で出逢い、その後結婚。1974年に離婚してい…
永遠のギター少年・ジョージ・ハリスン。 1985年、ジョージはギター少年にもどった。 ★ 1974年のアメリカ・ツアーは、賛否両論あった。 その後ジョージ・ハリスンはレコードは出すが、ほとんど人前に姿を見せなくなる。もともと隠遁志向のあるひとだという気…
1964年の映画『ハード・デイズ・ナイト』の頃。 ジョージ・ハリスン(1943年2月25日ー2001年11月29日)の死については、各国のタブロイド紙が亡くなる前に、「余命1週間」というような記事を載せた。残酷すぎる宣告だった。わたしたちはタブロイド紙の誤報で…
1970年盤のジョージは傘をさしていなかった(笑)。 ダニー・ハリスン(ジョージの息子さん)が新たにリッミクスしたジョージ・ハリスン最初のソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』の発売が、2021年8月20日に決定! 当時(1970年)、LP3枚組と…
1966年6月29日、ビートルズはとうとう日本にやってきた。いまから53年前だ。 当時あったビートルズの私設ファン・クラブは、ビートルズ来日を嘆願する署名などを集めていたが、強力なツテもなく、実現の見通しはたたなかった。 急激に事態が動いたのは、ビー…
ビートルズ日本盤よ、永遠に―60年代の日本ポップス文化とビートルズ作者: 恩蔵茂出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2003/08/26メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 10回この商品を含むブログ (1件) を見る 副題が「60年代の日本ポップス文化とビートルズ」と…
あちこちで特集やイベントが行われているみたいです。毎年のことなので、いうことも尽きているのですが、ただ、ジョン・レノンは自然死ではなく、射殺されて死んだ、ということがいつも頭から離れません。 風邪気味なので、昨日は元気なし・・・1日遅れで、…
1970年にビートルズが解散してからも、4人のソロ・アルバムを買い、それぞれの新しい音楽や歩みに心を奪われ、応援もしていたが、気持ちのどこかに、もう一度この4人がいっしょに音楽をやるときがくるのでは、という期待は消えなかった。 1970年代の後半、ぼ…
ジョージ・ハリスンは、2001年11月29日に亡くなりました。あれから9年・・・早いですね。 ★
ジョン・レノンの少年時代というと、ぼくのようなファンは、ジョンやビートルズの伝記で読んだ、有名なエピソードばかりが頭に浮かんでしまいます。 運命が采配したようなポール・マッカートニーとの出会い・・・ポールは、酒臭いジョンの前で「トゥエンティ…
ジョージ・ハリスンの人間性、つくる音楽、声、ギター・・・すべてが大好きだ。ビートルズ時代はもちろん、ソロになってからも、ずっと敬愛し続けている。 最近、ジョージ・ハリスンのソロ・アルバムをまとめてMP3に焼いて、それをクルマで聴いている。何度…
私事で、しばらくブログを更新できませんでしたが、やっぱりまずこれをアップしとかなきゃね(笑)。 バリバリに元気なリンゴが、7月7日で、70歳。わたしも同じ7月生まれ(日にちは違うけど)。それが、ビートルズを知ってからずっとひそかな自慢になってい…
ずっと気になっているマーティン・スコセッシ監督が撮っているジョージの伝記映画の新しい情報が、ビートルズ・クラブの会報誌『The Beatles』7月号に載っていた。 このジョージのドキュメンタリー映画『LIVING IN THE MATERIAL WORLD』は、現時点(5月)で…
1964年の春、ビートルズの「ツイスト&シャウト」がラジオから流れてきた。 誰が歌っているのか、どういうバンドなのか、何もわからなかったが、強烈なシャウトと叩きつけるようなビートにしびれた。 ビートルズがかかりそうなベスト・テン番組を探して、「…
70年代、2度の来日中止で、もうポール・マッカートニーは日本には来れない、というあきらめのようなものがあった。 だから、1990年の3月に来日が決定しても、無事入国を確認するまで安心できなかった。 そんなファンの不安をよそに、ポールは来日した。 笑顔…
楽曲の対象は、ビートルズ時代の公式曲のなかから。 予選第1回戦の対戦は、、、 ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア レディ・マドンナ ゲット・バック キャント・バイ・ミー・ラヴ ジ・エンド どれもそれぞれに想い出がある。でも、2つにしぼれば映画『ヤアヤ…
1970年、ぼくは、ビートルズが解散してから4人のソロ・アルバムを買った。 ポールの『マッカートニー』、ジョンの『ジョンの魂』、ジョージの『オール・シングス・マスト・パス』、そしてリンゴの『センチメンタル・ジャーニー』だ。 ポールとジョンとジョ…
この二人、バンドが危機に瀕していたといわれる時期に、なんと楽しそうな。いわれるほど、いつもいつも冷え切った関係であったわけでもないのだろう。 バンドをやっていればビートルズに限らず、音楽上の意見の相違が生じるのはあたりまえだ。ビートルズはひ…
●手古名さん ポールはソロでもいっぱい曲があるので候補に挙がっているのはほとんどソロの曲ですね。 私はもし来日したらビートルズ時代の曲ももっと演奏してほしいなあ。 今やThe Beatlesの曲を演奏できる(特に歌える)メンバーはポールしかいないんだもの…
「ビートルズ・クラブ」の最新号(3月号)、31頁に、「最新リンゴ名言集」という記事が出ている。そのなかで、次の発言が興味をひく。 ●4年前に両肩を手術したことについて リンゴ:ドラミング症候群さ(笑)。でも僕は練習をしないからね。なぜってひとりで…
ジョージ本人によれば、本当は「2月24日午後11時42分生まれた」らしい。従来は2月25日で通っていたけど、まあ、どちらにしてもあまり違いはないですね。 1943年生まれなので、元気ならば67歳になる。 ★ 先日テレビ番組を録画したDVDを見ていたら、小林克也氏…
開催は5回目ということですが、わたしが参加したのは、3回目、4回目、5回目で、3回にわたって、ビートルズについて、改めていい勉強をさせてもらいました。 しかし、わたしがもっとも感銘を受けたのは、主催者JUN LEMONさんのビートルズへの深い愛情でした。…
2009年のポール・マッカートニーの最新ライブ。わたしの買ったのは、CD2枚+DVD1枚の通常版。CD2枚にはライブで演奏された33曲が全部収録されていて、さらにDVDにはそれを演奏しているライブ映像が収録されている、これで定価3800円(Amazonでは、3118円)と…
ジョン・レノンが射殺されたのは、1980年12月8日。日本時間でいえば、12月9日。 第1報は、知人の電話で「ラジオを聞いているんだけど、ジョン・レノンが撃たれたみたいよ」。 あわてて職場のラジオをかけてみる。少しして、職場のとなりにある電器屋へいってみ…
細かく書いている時間がないので、事実の表記のみ。 ビートルズ探険隊のみなさんと一緒に、うわさのTHE BEATBOXのライヴを見る。 会場は、トイレにいくのも大変なほど満員盛況だったが、探険隊は3つのテーブルを、THE BEATBOXのNackeyさんが確保してくださ…
むかしメーリングリスト「ビートルズ探検隊」で、Blackbirdさんというメンバーと意見交換した話を書かせていただきます。 【注】tougyouさんのブログは、こちらです。 ★ tougyouさん、「イン・マイ・ライフ」は、静かでとても味わい深い曲ですね。ぼくはビー…
「ビートルズ探検隊」へ投稿した記事ですが、自分にとっても、ビートルズに関する忘れられない想い出なので、ブログにもコピーさせていただきます。 ★ ■リチャード・レスター監督『ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!』(1964年) ぼくは、この映画を…
JUN LEMONさんが個人的な資金を投入して主催されているパーティなので、どこまで公けにしてよいものか迷いますが、すでにringoさん、タイシホさんが、ブログに書かれているので、ぼくも触れておきます。 とにかく、まず第一にJUN LEMONさんのビートルズへの…
70年代にはいっても、リンゴを中心にしてビートルズはそれぞれに公私の交流を続けていました。 ジョージは、ジョンのアルバム『イマジン』に参加。何曲かで印象的で美しいギターを弾いています。 リンゴは、ジョンのアルバム『ジョンの魂』に、全面協力。ギ…
映画『ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!』で、ファンを魅了したリンゴも、69歳ですね。顔も体形も、若々しいので、錯覚してしまいますが、年齢だけ聞けば、立派なおじいちゃんであります(笑)。 ポールの来日と同様、リンゴの来日が待たれますね。…