かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

市川を歩く(11月3日)


会社のDさんから、「市川を一緒に歩きませんか」といわれていた。Dさんの家は、京成線の国府台(こうのだい)にある。


それをいわれたのは春だったが、Dさんとは休みがあわず、そのまま夏になり、「涼しくなったらぜひ」といわれ、それが、突然11月3日に決まった。


上野から京成電車の特急に乗って、高砂で各駅に乗換えれば、国府台(こうのだい)へ着く。それが、高砂で、間違って北総線に乗ってしまったので、「新柴又」へいってしまい、また高砂へ戻って、国府台へ行った。


国府台では、先にDさんが、待っていてくれた。



■江戸川沿いの道

江戸川沿いに土手を歩く。曇っていて少し寒いくらいだが、散歩するのにはちょうどいい。対岸は葛飾区。以前京成電車のなかから、菖蒲がきれいに咲いているのを見たことがあった。



★江戸川沿いの道を歩く


朝の散歩は気持ちがよかった。「野菊の墓文学碑」まで30分、と標識があったので、とりあえず最初の目標をそこに決める。


左側はずっと大きな江戸川が流れていて、右側に里見公園の森が続いている。川の景色は見ていて飽きない。


途中の田園風景も楽しかった。ねぎ畑が続き、野菊が咲いていた。小さな川が流れている。こういう景色は子供の頃見たことがあるな、とおもう。



矢切の渡しまでの田舎道。ここにも、野菊の墓の石碑があった



矢切の渡し

矢切の渡しへ寄ってみる。


矢切の渡しは、柴又側から何度か見ているが、対岸の千葉から見るのは、はじめて。祭日なので、渡し舟を待っているひとが並んでいた。小さな売店もあって、甘酒やだんごやラムネを売っている。



★対岸に見えるのが柴又の土手。ラムネの旗がうれしい(笑)



野菊の墓文学碑

矢切の渡しから、ねぎ畑、野菊の咲く道を戻り、「野菊の墓文学碑」へいく。


小学生のころ、テレビで放映された、木下恵介監督『野菊の如く君なりき』を見て、感激した。 伊藤左千夫の原作も読んだ。恋の原型を、この映画で知ったような気がする。


tougyouさんと知り合ったのも、tougyouさんがこの映画のことをブログの記事にしているのを見たのがキッカケだった。



★石段を昇ったところに、文学碑があった



■閑散とした矢切駅

矢切駅へ出る。晴れてきたので、上着を1枚脱ぐ。


駅前に「笑がおの湯」というスーパー銭湯があったが、全体に静かな町で、道の途中に祠や地蔵を発見するのが楽しい。



★閑散とした駅前。「笑がおの湯」が目立つ



■森と池のじゅん采池公園

木々の繁った「じゅん采池公園」もよかった。池にカモがたくさん集まって、泳いでいる。



★鬱蒼とした森のなかにカモの泳ぐ池がある



■Dさんの家で一杯。昼酒がおいしい!

Dさんの家は、里見公園の近くにあった。家の前が空き地で、隣が竹林になっている。閑静ないいところだった。


Dさんの家で、焼酎を飲む。奥さんとも気持ちよく話した。ゆっくりくつろぎすぎたので、後半の散歩の時間がなくなった(笑)。



■里見公園では、大きな樹木に圧倒された

晩秋の1日は短い。里見公園を歩いていると、暮れてきた。


★里見公園はバラがきれいだった



■手児奈伝説

「真間(まま)の継ぎ橋」と「手児奈(てこな)神社」へ来たときは、案内板の解説を読めないほど暗くなってきた。


手児奈姫(てこなひめ)は万葉集に登場するという。かぐや姫のような古い伝説がある。


手児奈は、絶世の美女で、おおくの若者の求愛を受けたが、そのひとりを選ぶことをしなかった。


「わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう」(「真間の手児奈」のサイトより)


手児奈を独占するために、若者たちは醜く争うようになった。それを悲観した手児奈は、


「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」(上と同じ


と、海に身を投げてしまった。


その手児奈が水くみをしたという「真間の井」が、「亀井院」というお寺に今も残されている。だが、もう暗くてよく見えなかった。



■京成「いちかわまま」駅の居酒屋で飲む

京成「いちかわまま」駅に出る。駅前に唯一あった居酒屋でDさんと飲む。日本酒と焼酎を随分飲んだ。心が近くなった。


「また市川の旅の2回目をやりましょう!」


というDさんの声に送られて京成電車に乗った。