かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

赤羽、そして王子へ(4月12日)


個人タクシーをはじめて、週に1回だけ休みをとっている。月々の収入と、ローンや経費の出費のバランスがまだ見えないので、毎日せっせと労働している。


楽しみなのは、週1回の休日だ。なにしろ、寝酒は別にして、この日しか心ゆくままお酒を飲むことができない(笑)。


前の会社F自動車の組合委員長・ドウガウチさんから、「組合から戻すお金を預かっています。振り込んでもいいのですが、時間があればお会いしませんか」といってくる。


ドウガウチさんは、F自動車という会社に移って一番親しくしていたひとだ。


会うことにする。


送別会であって、それからまだ半月くらいしか経っていないけど、もう懐かしい気持ちになってしまう。江戸川沿いに、市川・松戸を二人で散歩したのも楽しかった。そのとき、はじめて「野菊の墓」の石碑も見た。



ドウガウチさんが組合の会議が終わってから合流する、というので、赤羽の立呑み「いこい」で待つことにする。


「いこい」も、今の仕事になってから、なかなか行けない。極貧荘から赤羽駅へ一本で行けるバス路線を発見したので、はじめて赤羽駅まで、バスでいく。


「いこい」でひとり飲みながら、ドウガウチさんを待つ。13時ころ、ドウガウチさんが、オオヤマさんと二人でやってきた。


「組合の会議でオオヤマさんと一緒だったので、『今日これからシンさんと会うけど行きませんか』と声をかけたら『行く』というので連れてきました」と、ドウガウチさんが経緯を話す。もちろん、こちらも異存はなし。


オオヤマさんとはいつもブルースの話で盛り上がる。彼からはいろいろなCDを貸してもらった。


赤羽の立ち呑み「喜多屋」へいく。生ビールと酎ハイで乾杯!


オオヤマさんとドウガウチさんは、ビートルズが登場したときは、それほど二枚目だとはおもわなかった、というので、ぼくはムキになって反論する(笑)。最近歳のせいか、好きなものをちょっとでも悪くいわれるとムキになる傾向があってよくない。


「あんな4人が4人とも二枚目なバンドがほかにある?」
と年甲斐もなく興奮していう(笑)。



ドウガウチさんが、立ったまま居眠りをしだしたので(笑)、「喜多屋」を出る。


酔い覚ましに、新河岸川と荒川が合流している岩淵水門まで20分ほど歩く。土手にすわると、気持ちよさそうにドウガウチさんは眠ってしまった。


ドウガウチさんを置いて、オオヤマさんと水門の近くまで歩く。


「川のある風景っていいですね」とオオヤマさんがいう。


おだやかなあたたかい日だが、風が少し強かった。対岸に見えるのは、埼玉県の川口だろうか。



散歩のあとは、もう夕方でどこの店もあいている。どこにするか迷ったが、王子の「山田屋」へいく。<居酒屋探検隊>のイシザカさんが教えてくれた店だ。今日イシザカさんは仕事だという。


山田屋では、ボトルを頼み、腰を落ち着けて飲む。少し眠ったドウガウチさんも、元気に復活を遂げていた。


クラプトンが2回目に来日したとき、1曲目がいきなり「レイラ」で、武道館アリーナ席の連中がステージに向かって突進した。この受けやすい選曲と、観客の騒ぎがいやで、「レイラ」の途中で武道館を出てしまった、などとオオヤマさんは思い出を語る。ぼくも、そのライヴを見ていた。


はじめての来日のとき、エリック・クラプトンは『461・オーシャンブルバード』を発売したばかりで、ライブのはじめは延々とアコスティック・ギターのコード弾きで展開した。観客は、クラプトンがいつあのすざましいエレクトリック・ギターの速弾きを見せてくれるのか、じれながら待っていた。だから、初来日では、クラプトンがエレクトリック・ギターに持ちかえただけで、大きな歓声がおきた。


それが二度目の来日では、いきなり「レイラ」だもん(笑)、ステージは、イントロが鳴ると、一瞬で興奮の坩堝になった。しかし、それはぼくには楽しい思い出で、オオヤマさんのような不快感はなかった。で、そんなことを話す。


それから、はじめてのクラプトン来日のころ、個人的には、クラプトンは、あのクリームの最高のギタリストであると同時に、ジョージの「ホワイル・マイ・ギター」の美しいリードを弾いたギタリストでもあった。


「このひとは、ジョージの隣であの素晴らしいギターを弾いたんだろうなあ」と、1974年のぼくは、ジョージのことまで頭に浮かべて熱くなっていた(笑)。


音楽の話がはじまると、酔いが一気に加速する。この辺から、もう何を話しているのかわからないグズグズ状態になる。


「二人はデレク・トラックス・バンドを聴いてください!」と、にわか知識で新しく気に入っているギタリストを宣伝したりした。



王子駅で二人とわかれ、やっと東武東上線にのったが、上板橋駅からあとの電車がなかった。


酔いをさましながら極貧荘までひと駅分、歩く。