かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

『熱風』7月号、「憲法改正」の特集を読む。


スタジオジブリの小冊子『熱風』7月号を、ネットからダウンロードして読む。自民党の「憲法草案」に気を重くしていたので、特集のどの意見にも、共感した。


わたしたちは、「国民主権」も「基本的人権」も「戦争の放棄」もあやうくする自民党の「憲法草案」を阻止できるだろうか。


ここでは、高畑勲監督の文を、一部引用しておこう。


高畑勲監督は、いまは太平洋戦争がはじまる前の日本の状況に似ているのでは、と、かつての戦争のはじまりを回想している。

いまは戦争末期の悲惨さではなく、あの戦争*1の開戦時を思い出す必要があると思います。それまで懐疑的だった人々も大多数の知識人も、戦争が始まってしまった以上、あとは日本が勝つことを願うしかないじゃないか、とこぞって為政者に協力しはじめたことを。


有名人を含め、ほとんどの人が知性や理性を眠らせてしまい、日本に勝ってほしいとしか願わなくなっていたのです。ウソの情報を与えられて、だまされていたんだ、あるいは反対できる雰囲気ではなかったんだ、と言い訳することもできますが、それは後の祭りです。


私は太平洋戦争開戦当時は小さかったですから、よく分かっているとは言いませんが、大多数の人々は心から戦争を支持したのだと思っています。


それまでの日中戦争もそうです。あの頃の戦勝旗・提灯行列は、決して強制されたからやったのではなくて、みんな喜んで参加したのです。つまり大々的に応援したのです。そして酔ったように感動したのです。


もしいま、日本が、テロ戦争とやらをふくめ、戦争に巻き込まれたならば、そして犠牲者が出たら、場合によっては、六十年前の戦時中同様、かえって熱くなって、多くの人が日本という主人公に勝ってほしいとしか願わなくなるのではないかと心配です。


なぜなら、いま、映画でも本でも、「泣ける」「泣いた」というのが価値基準になっているからです。要するに、日頃は心がからからに乾いて、ばらばらに孤立しているからでしょうか。主人公を応援してうまくいくことをひたすら願い、やたら感動したがるのです。泣きたがっているのです。オリンピックなんかもそうでした。


●(高畑勲「60年の平和の大きさ」より)*2

*1:太平洋戦争のこと

*2:パソコン上の読みやすさを考慮して、オリジナルよりも改行を多くしています。