かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

溝口健二監督『噂の女』(1954年/大映)

京都の色街・島原で置屋兼茶屋を女手ひとつで経営する母と、店でかかえる太夫たちに同情しながらもその商売を嫌う娘との葛藤を描く。のちに監督業に進出した田中絹代は、本作が最後の溝口作品出演となった。


(「新文芸座」パンフレットより)


壷にはいった題材を扱うときの溝口健二はすごい。のっけから田中絹代の女将が、実に活き活きと動いているのにおどろいてしまいます。


しっかりと置屋を経営しながら人情もあり、働く女性たちにも慕われている「井筒屋」の女将だが、ひそかに出入りの若い医者・的場(大谷友右衛門)を愛人にもっている。ゆくゆくは、的場に開業させて、自分はその奥さんになろうというのが、彼女の夢だった。女将は、そのための資金をためている。


そこへ女性の「性」を売る商売を嫌って東京へ飛び出していた娘・雪子(久我美子)が、失恋から自殺未遂をして帰ってくる。家業を嫌う雪子だが、病気で寝込む太夫を心配して介抱する優しさに、店の女性たちも慕っていく。


雪子は、的場が母の愛人であることを知らない。的場を愛しはじめ、一緒に東京へ出ようと誘う的場の言葉を受け入れる。


女将は、能舞台を見学しながら、気配をさっし、ロビーで二人の相談を聞いてしまう。取り乱す田中絹代。嫉妬にひきつっていく顔……映画の核心であり、溝口演出が冴える。


愛人の裏切りを知りながら憎むことができず、借金をしてまで用意した大金を、二人の東京行きに役立てようとする田中絹代が悲しい。


ぬけぬけとそれをもらう的場のしたたかさ。ここでも溝口が描く男は、酷薄で、自分のことしか考えない。


しかし、母の本当の心を知った雪子は急変する。何もかも隠して、自分を誘惑し、母を捨てようとした的場の冷酷さに愛想をつかす。


母と娘の心がひとつに溶ける。


病気で寝ついた母の代わりに、今置屋を切り盛りするのは若女将・雪子だ。テキパキと処理し、自分でも、ずっとこの帳場にいたように水にあうのが可笑しい。やっぱり母の子だ、とおもう。しかし、この商売が好きなわけではけっしてない。


ただ雪子には、これまでの母の苦労が理解できた。働く女性たちも、生きていくために必死だった。それがいまはわかる。


すばらしい作品で、これがさらにリアリズムの度合を増して、遺作『赤線地帯』へ継承されていく。


【追記】ringoさんのこちらのブログを参考にしました。

溝口健二監督『武蔵野夫人』(1951年/東宝)

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両親の財産を守りながら暮す道子は、俗物の夫と暮していた。そこへ従弟の勉が復員してきて居候をはじめる。やがて道子と勉との間に愛が芽生え……。当時のベストセラー、大岡昇平の同名小説の映画化。


(「新文芸座」パンフレットより)


原作を読んでいないので、舞台が特定できないのですが、深い雑木林と川と木橋のある美しい武蔵野とは、小金井市国分寺市あたりでしょうか。映像で見る武蔵野がとても美しい……。この映画の一番のみどころは、武蔵野の風景ではないか、とおもいます。


田中絹代が小川に盥(たらい)を置いて洗濯しているシーンが出てきます。映像ではそこまでわかりませんが、きれいな水が流れて、ぽこぽこ清水がわいているのかもしれません。


むかしは、わたしの近所でも、川で洗濯をしていました。


女性たちが洗濯しているそばで、子どもたちは、冷たい川にはいって、水遊びをします。透き通る水のなかで、めだかのような魚が泳いでいました。子どもは、必死につかまえようとしますが、スーッと逃げ足が早く、魚はつかまらない……そんな光景が想い出されます。


自由恋愛を口にする大学教授の夫・忠雄(森雅之)は、どうしようもない俗物であり、妻の道子(田中絹代)は、古い道徳と貞操にこだわるストイックな女性。二人は、水と油であいません。


溝口が男性を冷ややかに見つめ、女性を同情の眼で描くのはいつものことですけど、道子が道徳に生きる女性であるにしても、あまりに型どおりで、血が通っていません。溝口健二が道徳を持ち出すと、どうしてこうも硬く、教本でもなぞるような中身のないものになるのか、ふしぎです。


道子の夫を演じる森雅之は、憎々しいほどの俗物を、実にしっかりと演じていました。やりすぎることなく、しかし十分に。


夫がありながら、従弟に心寄せる……そんな人妻の戸惑いを描きながら、あまりに手垢のついた道徳を強固にふりまわすので、彼女の苦しみは、作られた芝居を出ません。


最後は主人公を自殺させることで、夫や周囲の反省をうながすなんて、信じられないくらい投げやりな幕切れで終わります。


【追記】『武蔵野夫人』は、ringoさんのこちらのブログを参考にさせていただきました。