かぶとむし日記

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溝口健二監督『武蔵野夫人』(1951年/東宝)

武蔵野夫人 [DVD]

両親の財産を守りながら暮す道子は、俗物の夫と暮していた。そこへ従弟の勉が復員してきて居候をはじめる。やがて道子と勉との間に愛が芽生え……。当時のベストセラー、大岡昇平の同名小説の映画化。


(「新文芸座」パンフレットより)


原作を読んでいないので、舞台が特定できないのですが、深い雑木林と川と木橋のある美しい武蔵野とは、小金井市国分寺市あたりでしょうか。映像で見る武蔵野がとても美しい……。この映画の一番のみどころは、武蔵野の風景ではないか、とおもいます。


田中絹代が小川に盥(たらい)を置いて洗濯しているシーンが出てきます。映像ではそこまでわかりませんが、きれいな水が流れて、ぽこぽこ清水がわいているのかもしれません。


むかしは、わたしの近所でも、川で洗濯をしていました。


女性たちが洗濯しているそばで、子どもたちは、冷たい川にはいって、水遊びをします。透き通る水のなかで、めだかのような魚が泳いでいました。子どもは、必死につかまえようとしますが、スーッと逃げ足が早く、魚はつかまらない……そんな光景が想い出されます。


自由恋愛を口にする大学教授の夫・忠雄(森雅之)は、どうしようもない俗物であり、妻の道子(田中絹代)は、古い道徳と貞操にこだわるストイックな女性。二人は、水と油であいません。


溝口が男性を冷ややかに見つめ、女性を同情の眼で描くのはいつものことですけど、道子が道徳に生きる女性であるにしても、あまりに型どおりで、血が通っていません。溝口健二が道徳を持ち出すと、どうしてこうも硬く、教本でもなぞるような中身のないものになるのか、ふしぎです。


道子の夫を演じる森雅之は、憎々しいほどの俗物を、実にしっかりと演じていました。やりすぎることなく、しかし十分に。


夫がありながら、従弟に心寄せる……そんな人妻の戸惑いを描きながら、あまりに手垢のついた道徳を強固にふりまわすので、彼女の苦しみは、作られた芝居を出ません。


最後は主人公を自殺させることで、夫や周囲の反省をうながすなんて、信じられないくらい投げやりな幕切れで終わります。


【追記】『武蔵野夫人』は、ringoさんのこちらのブログを参考にさせていただきました。