4月27日㈯。曇り。
「クラブツーリスト」の奈良行きのツアーに参加するため、川越を出発。妻といっしょに東京駅へ向かう。午前8時40分集合なので、8時には東京駅へ着いた。
熊谷から来るTochan(とっちゃん。わたしの中学からの友人)に電話したら、集合場所の近くにある「スターバックス」にいる、という返事があった。
はじめ電話に出たのが、Tochanではなかったので、「?」っておもったら、娘の婿さんが、ジジさんが東京駅で迷って、わたしたちに迷惑をかけるのが心配だから、いっしょに新幹線で送ってきた、という。
Tochanは、山奥で生息する未開人か?
どんだけ過保護にされてんだ、キミは?
過保護の娘婿は、とんぼ返りの新幹線で熊谷へもどっていった。
東京から京都まで新幹線。
窓ぎわから、妻、わたし、Tochanと、3人横がけだったので、早起きの寝不足だったが、眠らないままあれこれ話していた。道中、長い感じはしなかった。
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京都駅から観光バス。
この日は、「法隆寺」と「薬師寺」をまわって、宿へ向かう予定だったが、京都駅を出ると、バスのフロントガラスに雨のしずくがかかりはじめた。
法隆寺の広い境内を歩くときにも、まだ小雨が降っていたが、まもなくしてやんだ。日照りよりいいが、蒸し暑い。わたしはTシャツになった。
法隆寺の境内を歩く。もうくたびれている。
Tochanとダベりながら歩いていると、10代のころにもどったようだ。妻も、結婚する前から知っているので、遠慮なく、会話がはずんだ。
仏像の写真集で見たことのある「百済観音」のスマートな姿を、一向に痩せない我が身をふりかえり、「かくありたい」と仰ぎ見る。
「法隆寺百済観音」(「世界の歴史まっぷ」より拝借)
https://sekainorekisi.com/glossary/法隆寺百済観音/#google_vignette
今回、夢殿の秘仏「救世観音菩薩立像(くせかんのんぼさつりゅうぞう)」が公開されていた。
夢殿の「救世観音」については、わたしの場合、志賀直哉の次の言葉が頭に浮かぶ。
夢殿の救世観音(くせかんのん)を見てゐると、その作者といふやうな事は全く浮んで来ない。それは作者といふものからそれが完全に遊離した存在となってゐるからで、これは又格別な事である。文芸の上で若し私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論それに自分の名などを冠せようとは思はないだらう。
「自画像の文学」とおもわれる志賀直哉が、その作品が長い年月のなかでひとり歩きすれば、作者の名なんてどうでもいい、と力強くいいきっている。
「救世観音菩薩立像」(「観仏日々帖」から拝借)。
https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com
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「薬師寺」。
「薬師寺 西塔」。
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宿は、JR奈良駅近くのビジネスホテル。夕飯は「各自」なので居酒屋をめざして歩く。
駅前から続く「三条通り」の店店店…をのぞくが、どこも満杯で、待ち人が椅子に腰掛けて待っている。とりあえず一軒聞いてみたら、約1時間待ちだという。待つのは、30分でもいやだ。
もう少し歩いたら「うどん屋」があった。外の看板メニューに酒類もあるので、そこへ落ち着くことにした。Tochanとわたしは、生ビール。妻はコーラで、「お疲れ様でした!」とジョッキとグラスをぶつける。
明日は、いよいよ「志賀直哉旧居」へ39年ぶりの訪問だ。