京都の色街・島原で置屋兼茶屋を女手ひとつで経営する母と、店でかかえる太夫たちに同情しながらもその商売を嫌う娘との葛藤を描く。のちに監督業に進出した田中絹代は、本作が最後の溝口作品出演となった。
(「新文芸座」パンフレットより)
壷にはいった題材を扱うときの溝口健二はすごい。のっけから田中絹代の女将が、実に活き活きと動いているのにおどろいてしまいます。
しっかりと置屋を経営しながら人情もあり、働く女性たちにも慕われている「井筒屋」の女将だが、ひそかに出入りの若い医者・的場(大谷友右衛門)を愛人にもっている。ゆくゆくは、的場に開業させて、自分はその奥さんになろうというのが、彼女の夢だった。女将は、そのための資金をためている。
そこへ女性の「性」を売る商売を嫌って東京へ飛び出していた娘・雪子(久我美子)が、失恋から自殺未遂をして帰ってくる。家業を嫌う雪子だが、病気で寝込む太夫を心配して介抱する優しさに、店の女性たちも慕っていく。
雪子は、的場が母の愛人であることを知らない。的場を愛しはじめ、一緒に東京へ出ようと誘う的場の言葉を受け入れる。
女将は、能舞台を見学しながら、気配をさっし、ロビーで二人の相談を聞いてしまう。取り乱す田中絹代。嫉妬にひきつっていく顔……映画の核心であり、溝口演出が冴える。
愛人の裏切りを知りながら憎むことができず、借金をしてまで用意した大金を、二人の東京行きに役立てようとする田中絹代が悲しい。
ぬけぬけとそれをもらう的場のしたたかさ。ここでも溝口が描く男は、酷薄で、自分のことしか考えない。
しかし、母の本当の心を知った雪子は急変する。何もかも隠して、自分を誘惑し、母を捨てようとした的場の冷酷さに愛想をつかす。
母と娘の心がひとつに溶ける。
病気で寝ついた母の代わりに、今置屋を切り盛りするのは若女将・雪子だ。テキパキと処理し、自分でも、ずっとこの帳場にいたように水にあうのが可笑しい。やっぱり母の子だ、とおもう。しかし、この商売が好きなわけではけっしてない。
ただ雪子には、これまでの母の苦労が理解できた。働く女性たちも、生きていくために必死だった。それがいまはわかる。
すばらしい作品で、これがさらにリアリズムの度合を増して、遺作『赤線地帯』へ継承されていく。
【追記】ringoさんのこちらのブログを参考にしました。