かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

精養軒のビア・ガーデンから見る不忍池

吉本隆明日々を味わう贅沢」(青春出版社

むかしむかし学生時代ですね。1970年代のはじめごろです。居酒屋の議論が白熱してくると、仲間の学生から「吉本にいわせれば」とか「吉本がいうにはさ」とかよく聞かされました。それで自分でも話に参加する必要から読んでみましたが、本の内容が難しくてサッパリ理解できませんでした(笑)。1冊もまともに読んでないかもしれません。これでいいのかな?‥‥なんていまごろ反省しても遅いでしょうけど。

その理解不能だった吉本隆明氏の比較的最近のエッセイを寄せ集めたのが、この本です(発行されたのは2003年)。さすがエッセイですからむかし読んで難儀した難しい言葉なんか出てきません。文京区に住む吉本氏が上野界隈を散歩する、気楽で気ままなエッセイです。

吉本氏は自分の実感に忠実。弱者を切り捨てない彼らしい発想が(というほど吉本氏を知らないのですが)、ホームレスへのふしぎな共感にも感じられました。上野公園にいるホームレスたちへの吉本氏の感想です(「ホームレスに想う平和の像<注>」)。

◆注:「像」は「イメージ」とルビがふってあります。

経綸(けいりん)の志の強いひとからみれば、公園の木立のなかや上野の山上に青テントやボール箱の積み重ねの住居をつくっているホームレスは、街の美観を損なうとか、正業について家を持てとか、家族と和解して家に帰れとかいう勧告になるのかもしれない。
ごもっともな次第だが、わたしのなかには、寛容に、できるだけ長くそっとしてやってもらいたいものだというひそかな願望が兆したりする。その願望は、じぶんのなかにある、この社会への心身の不適応性からでてくる本音を交えているのだとおもう。

わたしは、この吉本氏の文章を読んで共感、むかしあえなく撃退された氏の思想書にもう一度挑戦しようか、と思ったほどです。でも、ぼくにはこういう日常生活の簡単な感想のほうが気持ちにスッとはいってくるのですね。だから、きっと難解な思想書は読まないだろうけど(笑)。
日々を味わう贅沢―老いの中で見つけたささやかな愉しみ

本著のエッセイは、主に「うえの」という雑誌に掲載されたものから構成されています。ですから、上野界隈のことを書いたものがおおく、周辺を知っていると「あっ、これってあすこのことだね」なんて目に浮かびます。なかでも、わたしには「精養軒のビア・ガーデン」という一編がおもしろかったです。夏になると、吉本氏は上野の精養軒のビア・ガーデンへいく。そこから、ひとりで不忍池を俯瞰する夕暮れの風景描写が素晴らしい。

ちょっと引用してみますね。長文で恐縮ですが‥‥

いま、上野の夏で一番すきで印象深い風景はと訊ねられたら、精養軒の屋上で七月ごろから開店されるビア・ガーデンから、生ビールを傾けながら眺める不忍池の夕ぐれだと答えるとおもう。
          <中略>
もう不忍池の水鳥たちは渡っていってしまったのに、水上動物園に残っているかもの類が、暗くなりかけた日没の池水に、静かな水紋を立てながら泳いでいる。そうかとおもうと、半ば眠っているのか、池水に浮いたままじっとしている。中州のところに上って休んでいる鳥もいる。
視線を少し上げると、駒込台よりもっと遠景に、池袋のサンシャインビルやその続きの建物が見える。左の方に視線をやると弁天堂の向こうに青々とした蓮池がひろがっている。
夜の闇に変るまでの束の間の光景といえば果敢(はか)ないが、何ともいえないほど魅力的だ。こんな静かないい風情を、ビア・ガーデンの金網越しに生ビールを飲みながら見られるのかとおもうとたまらない気がしてくる。
こんな上野はたぶんここからの、この時刻でなければお目にかかれないと思う。


■遠景に見えるビル群の夕暮れ


こんな感じです。目に浮かぶようではありませんか。冷たいビールを飲みながら、吉本氏が感銘を受けた不忍池の夕ぐれをご自分の目で見たくなりませんか。
なお、上野精養軒のビヤ・ガーデンは8月31日まで。