みほーさんから、ブログのコメントで「松村さんの本が出ましたね」と教えてもらった。で、さっそくAmazonから取り寄せて読む(Kindle版がなく、久しぶりメガネをして紙の本で)。
雑誌「ロッキングオン」に連載したものなので、半分以上は読んだ記憶がある。でも、1冊にまとめられると、読み応えがありますね。
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本のタイトル『僕の樹には誰もいない』は、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の「No one I think is in my tree」からとったものだろう。
松村雄策さんの10冊目の本であり、最後の本になった。
(亡くなったのは、2022年3月12日。70歳)
本のどこをとっても松村雄策がいる。松村氏の本はどれもそうなのでいまさらおどろくことでもないか。
「文は人なり」‥‥松村雄策さんの本を読むと、この言葉がピッタリくる。小説家ではないのに、「文士」という言葉が似合うひとだとおもう、松村さんは。
松村さんは、文章のなかに、観念的・抽象的な表現を持ち込まない。どこをとっても具体的。
『ロッキング・オン』というロック雑誌は、わたしには理解できない評論や分析がけっこうあるけれど、松村さんの文章を読むとスッと頭にはいってくる。それも気持ちがいい。
じつをいえば、松村さんは、音楽評論なんて書いたことがないのだ。
どの本も、対象ミュージシャンへの松村さんの「想い(=愛)」を綴ったエッセイ集というほうが、実体に近い。
本を読んでいると、語られているミュージシャンを通して、松村雄策という人間の生き方が浮き彫りになってくる。
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例えばエリック・バードン(アニマルズ)の"朝日のあたる家"がいかに世界中で大ヒットしたかを次のように書く。
(略)一九六四年にアニマルズでレコード・デビューする。その二枚目のシングル"朝日のあたる家"が世界中で大ヒットして、ブレイクする。
大ヒットしたといっても、アメリカとイギリスのヒット・チャートで第一位になったというだけではない。一九六四年の夏は、どこに行っても"朝日のあたる家"が流れていたのである。(略)
つまり、一九六四年の夏は、ビートルズと"朝日のあたる家"だったのである。ローリング・ストーンズの"サティスファクション"が世界的に大ヒットするのは、一九六五年である。キンクスとフーは、イギリス国内だけであった。しつこいようだけど、一九六四年の夏は"ア・ハード・デイズ・ナイト"と"朝日のあたる家"だったのである。
1964年の夏がビートルズと"朝日のあたる家"だけで語れるかどうかはともかく、なるほどそうだったか、となっとくしてしまう説得力がある。強引だけどわかりやすい。
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ビートルズに関しての文章は、本の6〜7割がそうなので、どこを抜きとっていいかわからない。
で、これだけちょっと気になったので、引用しておきます。
(略)入手困難なチケットというと、どうしても一九六六年のビートルズ日本公演思い出してしまう。日本武道館で五回の公演で計五万人の観客だったということになっているけれど、そんなことはない。
なんども書いているとおり、武道館の一階には観客を入れなかったのだから、多くても一回五千人ぐらいだろう。観客が暴れるからという理由でそういうことになったそうで、今でも僕はあのときの警察を恨んでいる(いつ暴れたよ。えっ!)。
ビートルズのチケットを入手するのは、まず往復葉書で申し込まなければならない。抽選で当たったら葉書が戻ってきて、それを持ってプレイガイドに買いにいく(略)。
僕は十枚ぐらい出して、全部外れた。しかし同級生の同じビートルズ・ファンが二枚当たったからといって、一枚譲ってくれた。A席が二千百円だったから、当時の中学生には高価だったのだ。今でいうと、三万円くらいの感覚だろう。
松村雄策さんは、1階に観客をいれなかったのだから(警備の警官がずらっと並んで、客席を見上げながら不測の事態に備えて、公演中ずっと立っていた)、せいぜい1回の公演にはいれたのは5千人ではないか、と、むかしからいっている。
たしかに、いまでいうアリーナ席には観客はいれてないし、ステージ後方も死角になるので空席になっている。実際のところどうなのだろう?
往復葉書をわたしは13枚出した。ビートルズを見れるか見れないかを、運命の手に委ねた。そして1枚当たった。幸運に感謝した!
野地秩嘉(読み方がわからない)著『ビートルズを呼んだ男』によれば、プロモーターの永島達司は、マネージャーのブライアン・エプスタインから「ビートルズ日本公演」について相談を受けた。
フィリピンの公演があるので、そのあいだの日程に日本公演を企画してくれないか、という話。
永島達司はイギリスまでエプスタインに会いに行ったが、はじめは断るつもりだった、という。ビートルズの海外でのチケット代は「約1万円」くらいともいわれ、日本の子供たちは貧しいからそんな高いチケットは買えない、という理由で。
すると、ブライアンは、それでは君のほうで日本の子供たちが買える値段を提示してくれないか、といった。
そこで参考にしたのが、当時の、日本でのアルバムの値段。
貧しくてもビートルズ・ファンはビートルズのアルバムを買っている。それと同じチケット代ならどうだろう?
永島は断る理由がなくなった。ひとつ、ブライアンが示した条件は、収容人数1万人以上の屋内会場(この条件を満たすのは、当時出来てまもない日本武道館しかなかった)。
しかし、「日本武道館」は、我が国の伝統ある武道の会場なので、素性のわからないペートルズだかなんだか乞食みたいな奴らに使わせるのはけしからん、と「じいさんたち」が言い出して、揉めに揉めるが‥‥そのことは今回は省略。
つまりはビートルズのチケット代・2,100円は当時のアルバムの価格を参考にしたものなので、松村さんがいう「今でいうと、三万円くらいの感覚だろう」は、ないとおもう。
松村さんにとって、2,100円の来日公演チケットが、3万円の価値あるものに見えたという比喩的な表現ではないだろうか。
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あと松村さんが、佐藤泰志の本を読み、映画化されたものも見ている。佐藤泰志ファンのわたしとしてはうれしかった。
佐藤泰志は1949年生まれ(わたしと同い歳)。1990年に自殺している。41歳。
佐藤泰志が注目され、次々映画化されるようになったのは、彼の死後なのがくやしい。もっともわたしも、熊切和嘉監督『海炭市叙景』(2010年製作)が初映画化されるまで、名前も作品も知らなかった。
松村さんが佐藤泰志を知ったのは『きみの鳥はうたえる』という本のタイトルから。これはビートルズの「アンド・ユア・バード・キャン・シング」という曲名からとったものだろう(実際読んでみると、そうだとわかった)。
「佐藤泰志ーーおぬし何者か?」と、松村雄策さんの関心をひいたのではないか。
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「Still Alive And‥‥」とタイトルされた最後のエッセイで病気のことに触れている。
肺癌、肝臓癌、腎臓癌。それが骨に転移している。それが何を意味するのか、僕でも分かる。ゴー・ジョニー・ゴーゴー! というしかない。
そして最後の文章がこうだ。
もうすぐ、ビートルズの『レット・イット・ビー』の、新しいヴァージョンが発表されるという。それを見なければ死ぬに死ねない。
(「ロッキング・オン」2021年11月号)
松村さんが小林信彦と論争していたとき、小林氏から渋谷陽一社長に「松村というオタクはどういうひとなの?」という電話があったらしい(小林信彦が書いている『ミート・ザ・ビートルズ』というタイム・スリップ小説に「事実誤認」がいくつかある、と松村さんが指摘したのを小林氏はよろこばず、論争になった)。
渋谷陽一氏は、小林に「ビートルズを生き方にしている男です」といった、という。
みごとにいいあててる!
松村さんは、8時間にわたる映像『ビートルズ:ゲット・バック』を見れたのだろうか?
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