かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

灰谷健次郎『砂場の少年』

砂場の少年 (角川文庫)
最近読んでおもしろかった本の1つ。

30代で転職してきた新任の男性教師が、学校が問題児たちと評価する子どもたちの声に耳を傾け、子どもを置き去りにした管理教育の実態を知る……簡単にいえばそういう作品です。生徒たちの描き方が理想的すぎはしないか、とおもうところはありますが、ぼくはすごく共感しました。ただし書かれたのは現代ではなく、1990年です。

きっとこういう教師がいれば、いま教育の現場で起きている問題の多くは解決するのでは、そんなことをおもってしまいます。読んでみないと、なんのことかわからないでしょうけど(笑)。


そこで参考までに、いくつか抜粋してみます。

  • 「教師どうしでいくら、ああだ、こうだといい合っても、研修につとめたとしても、それには限界がある。おれは教育の素人(しろうと)だけど、なんとなくそれがわかるんだ」

「じゃ、先生はどうすればいいと思っているんですか」
「子どもから学ぶ。生徒から学ぶということしかないのじゃないかと思う」

  • 「この前、職員会議で、ある若い先生が人にものを教えてる資格なんて誰にもない。しかし、教師は必要だし、現に自分は教師をしている、自分のたった一つの良心みたいなものは、自分は生徒よりも一段上だから、生徒に号令をかけてもいいんだという思い上がりだけは持たないようにしている(といっていた)」
  • 「ある人が、子どもの可能性の問題に触れて、教師があらかじめ用意した学習の内実によって、これこれの進歩があるだろうと予測できるような子どもの変化は、ほんとうの可能性とはいわない。ほんとうの子どもの可能性とは教師の予測をはるかに越えたとてつもなく大きなものであるという意味のことをいってるんだね」
  • 「教師と生徒の離反というのは、そういう子どもたちの感性や想像力に、教師のそれが追いついていかないところから出てくるんじゃないかな」

思いつくままの抜書きですが、いま論議されている教育基本法の改案は、この引用の発想とはまっこうから対立しますね。授業数がふえ、管理は強化され、体罰が容認される……。 

教師として不適切な教員を再教育する、という考え方もおそろしいです。誰がそれを判定するのか。校長、教頭、教育委員会? 彼らに都合のいい教師がいっぱいふえるだけじゃないか、と。

抜粋だけみると硬い小説のようにおもえますが、中学生が読んでもわかるやさしい作品です。共感できるところがありましたら、読んでみてください。