秋山駿は名著『信長』のなかで、信長を、「日本の歴史上もっとも興味のある人物」と表現している。芸術家のような鋭い感性をもった人間でありながら、これほどためらうことなく女性から子どもまで大量に殺戮した独裁者もすくない。信長は、刃向かうものに、容赦がなかった。
信長のイメージする世界観は、壮大で、それを理解できたものが、同時代どれだけあったか。『信長公記』(しんちょうこうき)の著者太田牛一(信長の家臣であった。実際の信長と接した経験をもっている)は、その信長一代記のなかで、総じて信長に好意的でありながら、あまりの残虐さに、「上様の行動が理解できない」という一文を加えているところもすくなくない。
あまりにも壮大な信長の世界観……その常人に理解しがたい信長の美意識の奥底へ分けいろうと、果敢に挑戦したのが秋山駿の『信長』だった。
市川雷蔵が演じるのは、若き日の信長。「おおうつけ」といわれ、家臣からもそっぽを向かれながら、彼は用意周到だった。家臣の裏切りも知りながら、ひそかに打つべき手をうって、今川義元との決戦に打って出る。あとのない捨て身の信長だったが、義元の隊列がのびすぎた弱点を見逃さず、奇跡的な勝利をあげる。
若き日の信長といえば、斎藤道三の娘濃姫との結婚などが映画化されることがおおいが、この作品は大仏次郎の歌舞伎劇が元になっているそうで、道三も濃姫も登場しない。
山口左馬之助の娘「弥生」や、平手中務(ひらてなかつかさ)の息子たちとの関係のなかから、若き日の信長像を描き出している。
特別に傑出した織田信長像を見たという気はしないが、雷蔵の演技は小気味がいい。よくある道三、濃姫とのエピソードが登場しないのがかえってよかった。あくまで自由に創造された雷蔵版・織田信長像という印象だけど、おもしろく見られた。