かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

中田秀夫監督『怪談』(公開中)


原作は、三遊亭円朝の『真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)』。親の悪縁が子の代にまで及ぶ、という長い長い因果噺がもとになっております。

【あらすじ】


身持ちの堅いのが評判だった女師匠豊志賀(黒木瞳)は、ずっと年の若い新吉(尾上菊之助)に夢中になってしまう。豊志賀の眼中には新吉しかなく、新吉を想うばかりに女弟子にまで嫉妬する始末。


豊志賀の評判は落ち、やがて、稽古に通うお弟子がひとり減りふたり減り、誰もこなくなってしまうが、彼女は新吉がそばにいれば、気にかけるようすもない。


若い新吉は、美貌の豊志賀に愛されることを最初こそよろこぶが、強すぎる愛情を段々息苦しくおもうようになる……。しかも、ある小さなケガがもとで、豊志賀の左眼の周囲は、醜く腫上ってしまう……。


豊志賀は、いつか病の床につくようになり、左眼の化膿はますます悪化。「おまえが女房をもてば、とり殺してしまうから、そう思え」と、恐ろしい書置きを残して亡くなる。


若いお久(井上真央)とともに新吉は羽生村へ逃げようとするが、途中の累が渕(かさねがふち)までくると、怪異が二人を襲ってくる。



話はこれが発端。なにしろ原作は長く、三遊亭円朝は15日の連夜にわたって、このものがたりを口演したといいます。2時間ほどの映画にするには、大胆な省略が必要になるわけですが。


今回の映画では、豊志賀の愛憎に焦点をあてています。身持ちの堅い豊志賀が、新吉に惚れていく過程は十分には描かれていないので、<男日照りの師匠がやっとつかまえた男に身も心も捧げてしまった>というようにもおもえます。


しかし、男にすれば、自分のものになるまでは恋しい女性も、朝から晩まで惚れられて「新さん、新さん」とまとわりつかれたら、うとましくなってくるのも世の習いで、この映画で見る限り幽霊にまでなってとりつかれる新吉が、なんだか気の毒な犠牲者におもえます。


黒木瞳の豊志賀は、左眼に腫れ物ができてもなお美しく、幽霊になって登場しても怖くありませんでした。これは、ある程度予想していたことでもあります。むしろ、1度だけですが、井上真央のお久が天井から逆さになって新吉につかみかかってくるシーンに、「おお!」と声をあげてしまいました。


 


江戸の町並みや庶民の生活ぶり、木々の生い茂る沼「累が渕」の暗い光景、羽生村の田舎の風景、そして艶(つや)やかな着物姿の黒木瞳を、美しい映像で楽しめました。


しかし、怪談としての迫力は小学生のときみた中川信夫監督『怪談累が渕』(1957年)の方がはるかに怖かったような気がします。


新作は、豊志賀と新吉の運命的な悲恋に共感を呼ぼうとした作品なのかもしれませんが、それも十分に描きつくされているとはおもえませんでした。


★「ワーナー・マイカル・シネマズ・大井」にて