かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

わたしの「桜を見る会」と、靖国神社に掲示された「陸軍大尉の遺書」。


千鳥ヶ淵の内堀りと桜。



3月25日㈯。雨。
桜が満開なのに、無粋な雨。妻と買い物の帰り、クルマで伊佐沼公園まで走り、乗ったままのお花見。





3月27日㈪。曇り。
両親が仕事で、春休みの双子たちが二人っきりになるというので、暇そうなわたしが留守番にいく。今年小学校4年生になるので、世話することなく、楽な留守番。


森まゆみ著『「青鞜」の冒険 女が集まって雑誌を作るということ』を読む。


平塚らいてうなど、青鞜同人たちの人間を描くのではなく、雑誌づくりの話が長く退屈。


気持ちがはいっていかないので、途中で挫折するかもしれない。


妻が迎えにきたので、チビたち家族と別れて、クルマで川越、新河岸川氷川神社裏)の桜を見にいく。


川べりを少し歩く。






3月29日㈬。晴れ。
千鳥ヶ淵靖国神社へ一人で花見にいく。桜は満開。


千鳥ヶ淵の歩道を歩きながら、内堀りの桜を見る。平日でも、人がたくさん出ていた。外国人も多い。




千鳥ヶ淵を歩いたあと、何か飲もうとおもって、隣接する靖国神社へいく。こっちも桜が満開。千鳥ヶ淵には売店がない。喉が渇く。やっとビールを飲めた。






靖国神社では、月替りに兵士の遺書が掲示される。今月は、「陸軍大尉・中川清命(なかがわ・きよしのみこと」の遺書が出ていた。

「一死奉公」


日本男児として生をうけて二十有余年、祖国が国運を賭(と)する米英膺懲(ようちょう)の戦に参加するの栄誉を担う。


(略)


死は既に家を出ずる時、覚悟せるもの。今更何の感慨かあらん。唯、靖国の御社(みやしろ)に迎えられる日を待つのみ。


(略)


皇国が米英を撃破して、新しき大東亜の建設成るの日あるを信じ、吾一命(わがいちめい)がその一助ともならん事を喜び、皇国の弥栄(いやさか)と聖寿(せいじゅ)の万歳を祈ると共に、御両親様と皆様の御多幸と御健康とを祈りつつ。


昭和十八年四月八日 中川清


「昭和二十年三月十日、東部ニューギニア・ウエワクにて戦死。大阪府大阪市東区出身 三十歳」とある。


ずいぶん前のこと、やはりぶらっと靖国へ散歩にきて、この掲示板を読んでいたら、後ろから声をかけられた。振り向くと4人の男性と女性がいた。その女性のひとりが、隣りの男性をさして、


「このひとは、ここに掲示されている人の息子です。わたしたちは遺族です。読んでくださってありがとうございます」と挨拶された。


わたしは、どう応えていいかわからず、黙って頭を下げたような気がする。


学徒兵の遺書をあつめた本『きけわだつみのこえ』も読んでみた。


自分と同じくらいの青年が、国家の命令で、死を覚悟し、戦地に赴くーーもし自分がその立場だったらどうだろうと想像すると、敬虔な気持ちにならざるをえない。しかし、それと彼らを英雄視するのは別。国家権力に、こういう不条理な力を与えてしまったことが問題。もう繰り返してほしくない。


靖国の裏庭まで歩き、ベンチでひとやすみ。


日陰は涼しくて心地よかった。