かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』


ロシアの監督が昭和天皇を真正面から描いた作品。海外で話題になりながら、日本公開が危ぶまれていたようです。日本では制作できない禁断の素材に、配給会社がおそるおそる様子を見ていたからでしょうか。しかし『太陽』は海外の評判が上々で、8月ついに日本でも上映が決定しました。


こういう作品はのんびり待っていても、名画座に落ちてくるかどうかわからないので、遅くなりましたが見にいってきました。


ワーナーマイカル板橋」で最初の上映時間10:00から見ましたが、上映時間の少し前にいくと観客はわたしひとりだけ。話題作『太陽』を貸切で見るのか、とうれしいような、しかしさびしいような複雑な気持ちでしたが、予告編が終わって、本編が始まる頃、二人はいってきて、合計3名での映画鑑賞となりました。やっと公開された話題作、といっても平日はこんなものなのか?


作品を見てみれば、昭和天皇への目線を、正・邪もしくは左派・右派どちらにも傾かず、静かすぎるほど静かにひとりの人間として描いています。イッセー尾形の名演ともあいまって、「天皇」への雑念を捨てて作品にはいっていけました。


敗戦濃厚の昭和20年、日本全国が空襲に見舞われている時代ですが、天皇ヒロヒトは皇居の地下奥深くに潜伏し、疎開した家族とも離れ、侍従に取り巻かれながら、静かな日々をおくっています。


地下までは、戦争の騒々しさも届かず、世界からとりのこされたように周囲は静かで、ヒロヒトは決められた予定通りに、閣僚との会議に出席したあとは、生物の研究をし、あとはぼんやりした時間をすごしています。時には、古いアルバムをひろげて、皇后と結婚したころ、子どもが誕生したころをおもいだします。なぜかアルバムには、アメリカの映画俳優の写真もスクラップされています。


地下の静かな日々のうちに、日本は戦争に無条件降伏し、皇居の中にもアメリカ兵がやってきます。天皇ヒロヒトが写真に撮られながら、帽子を取って挨拶をすると、「チャップリン!」と声がかかって、アメリカ兵たちに笑い声がもれます。


「あのひとに似ていますか」
と無表情に問いただすヒロヒト


皇室に同情のないぼくにもさびしく感じられるシーンでした。偉大なるチャップリン、という発想はいまでこそいえることで、現人神(あらひとがみ)が、ルンペンを演じるチャップリンに似てると、アメリカ兵が笑っているのです。


ヒロヒトは、マッカーサーと二人だけの会見をしますが、歴史のなかでは二人の間で何を話されたのかわかりません。マーカーサーの発言は残っていますが、政治的な配慮が強く、どこまでが本当なのか。


映画のなかでは、長いソファーに横すわりでリラックスして座るマッカーサーと、一人用の肘掛椅子へ行儀よく座るヒロヒトの会談の様子が、かなり長く描かれていきます。息苦しくなるような時間ですが、イッセー尾形の演技に眼を離せません。


ぎこちないヒロヒトのしゃべり方(ニュースなどで見たあれですね)をイッセー尾形が模倣していますが、決して茶化していません。ヒロヒトのこころの見えにくさは、純粋なのか、ただの世間知らずなのか、あるいは天皇としての彼のポーズなのか。その不透明な存在感をイッセー尾形が演じていますが、奥行きのある演技なのでは、とおもいました。


マッカーサーは、ヒロヒトとの二人だけの会見が終わった後、「子どものようなひとだ」といいます。これも純粋さへの賞賛なのか、天皇ヒロヒトの無能さを笑ったのかわかりません。


終戦が明らかになり、疎開先から皇后(桃井かおり)が子どもたちと帰ってきます。再会した皇后の胸に顔をうずめるヒロヒト。映画はあの有名な玉音放送のシーンもなく、ヒロヒトが家族と再会したところで終わります。