久しぶりに川越の町を歩く。
自宅から自転車で、喜多院の近くにある中院へいく。中院の駐車場のすみへ、自転車を置いた。
中院から歩く。
中院を訪れる観光客はすくなく、たいていはひっそりしている。なかに、島崎藤村が母のためにおくった「不染亭」が移築されてある。
中院から喜多院へ。
喜多院は、桜の名所の1つ。訪れる参拝客はおおい。きょうは花見に備えて、たくさん露店が出ていた。
【写真】:喜多院の桜
成田山川越別院で、亀のたくさんいる池を見る。
むかし息子のNがまだ小学校へはいる前、この池へ、飼っていた亀を逃がしたことがある。小さな水槽で飼うには気の毒なほど大きくなってきたので、この亀の池に放したのだった。
そのとき、腹の甲羅に、あとでわかるようマジックで何かサインをいれたが、もちろんいまはそれがどの亀か判別できない(笑)。
【写真】:成田山川越別院の亀の池
大正ロマン通りをぬける。ちょっとおもしろい建物が並んでいるが、クルマがたくさん停車しているので、大正の光景にはそぐわない。
【写真】:大正ロマン通り-1
【写真】:大正ロマン通り-2
蔵づくりの町を歩く。
むかし風のラーメンを食べさせてくれる「富士屋食堂」へ寄る。ラーメンを食べる。夕方からクルマを運転しなければならない用があるので、ビールはがまん。
「川越まつり会館」に寄ってみた。
川越には29台の山車(だし)があるそうだ。例年、ふつうは14、15台の山車が町をねりあるいて、お囃子を競い合う。この数年川越まつりを見ていない。ことしは山車を見にこようかな、とおもう。
川越まつりのお囃子(おはやし)は、文化・文政(1804〜1830)の時代に江戸から伝わったもので、江戸の葛西囃子や神田囃子を源流としています。
流派は王蔵(おうぞう)流、芝金杉(しばかなすぎ)流、堤崎(つつみさき)流に大別され、いずれも祭礼様式の移り変わりに伴い、独自の改良を重ねて発展してきました。笛1人、大太鼓1人、締太鼓2人、鉦(かね)1人の五人囃子に舞が付き、笛のリードにより太鼓、鉦を打ち囃します。
曲目は、屋台、昇殿(しょうでん)、鎌倉、シチチョウメ、インバなどがあり、それぞれの曲に合わせて天狐(てんこ)、獅子、オカメ、モドキ、ヒョットコなどが舞われます。
(「川越まつり会館」のパンフレットから)
【写真】:川越まつり会館
【写真】:川越まつり会館(天狐の舞い)
「まつり会館」は、ハッピを着たひとが何人かいて、ていねいに「川越まつり」や「山車」のことを説明してくれた。仕事として、というより「川越まつり」が好きで、より来館者にわかってもらいたい、とおもっているのがわかって感じがよかった。
菓子屋横丁へ寄る。
ニッキ飴を買う。お店で甘酒を飲んだ。狭い一角しかない菓子屋横丁は、いつも観光客で混んでいる。
帰りは、「時の鐘」を見て、でたらめに路地から路地をぬけて、自転車のある中院へもどる。