幸徳秋水は、日露戦争の当初、日本中が開戦の熱気に沸くなかで、徹底的な反戦論を説いた。
時を同じくして、ロシアのトルストイ(77歳)もキリスト信者の立場から非戦論を発表する。翻訳したのは、幸徳秋水と堺利彦である。
しかし、秋水は、同じ非戦を主張しながらも、トルストイの、戦争の原因を<個人の堕落>とし、<汝ら悔い改めよ>と説く意見には批判的だった。
かねてから、秋水は、敵対するのは、日本とロシアの一般市民=個人ではなく、両国の政府と資本家たちである、と説いている。
戦争の原因を、秋水は、こう書く。
列国経済的競争の激甚なるに在り。
簡単にいえば、国と国の欲望のせめぎあいを、戦争発動の原因とみている。
★★★
幸徳秋水がおどろくべき予言をしたのは、1906(明治39)年だ。
1月21日付のサンフランシスコの邦字紙『日本』に、次のように書く。
日米記者足下。予は此地に来りて感ぜり。我日本にして、今より十年或は二十年、或は三十年、五十年の後、更に他の国と戦端を開くことありとせば、その敵手たる者は、仏に非ず、独に非ず、(略)、無論英伊の二国にも非ずして、必ず現時我ともっとも親善なりと称せらるる北米合衆国ならん。吾人及び吾人の子孫は今において宜しく此戦争の防止に尽力せざるべからず。
34年後に、日本は、幸徳秋水の予言どおりアメリカと開戦する。
<アメリカとの戦争を防止せよ>という幸徳秋水の警告は、役に立たなかった。