おもしろいので、①と②を続けて読んだ。
アイルランド人の夫と結婚したみかこさん。
息子さんがひとり。
この息子さんが小学校から中学校へ。
人種・階級・貧富‥‥多様なひとたちが生きていく英国の学校をひとりの母親として体験していく。
アイルランド人の父(みかこさんの夫)は、トラック運転手。日本人の母(著者)は、パンクロックが好きな保育士でエッセイスト。
本の随所に音楽の話題が出てくる。息子の数学の点数が低すぎることよりも、音楽のテストの解答に、「ジョン・レノン」という正解が書けなかったことにショックを受ける。
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息子は、とても繊細な優等生。しかし世の中を上から見下しての優等生ではない。
友人が人種差別を受けたり、逆に差別発言をする同級生が、ひどいいじめを受けたり、そのたびに一緒に悩み、考える少年。
感性が柔軟な著者。常識より一歩奥へはいるところに、息子にとって相談しがいのある母がいる。
この本のおもしろさもそこにある。
カトリックの小学校という優秀な学校を卒業した息子さんは、常識を破って「元底辺中学校」へはいる。
日本で言えば、人気のある私立小学校から、一般的な公立中学校へ入学した、ということみたいだ。実際あてはめかたが、わたしにはよくわからないが。
息子さんも、母も、カトリック中学校の教条的な雰囲気よりも、「元底辺中学校」の個人がスポイルされていないのびのびとした雰囲気を気にいったようだ。
しかし、これは一般的に選択しないコースらしくさまざまなひとから「なぜ?」と問いかけられることになる。
みな、カトリック中学校へはいるために、必死に勉強するからだそうで、このブレイディ家族は、やっぱり一風変わっている。
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ブレイディみかこさんはだからといって、ひとつひとつ、ひとと変わった選択をするわけではない。世の中にはびこる常識という名の風習にとらわれない自由な発想をよりどころにする。
エッセイなのでわかりやすく読みやすい。小学校から中学校までの息子さんを持つ父母さんには、共感することが多いのではないか。
いい意味で、サブカルチャーをくぐった著者の感性のやわらかさがとてもすてきだとおもう。
前書きからの引用。
「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている」と言ったのはオスカー・ワイルドだが、これに付け加えるなら、「子どもはすべてにぶち当たる」になるだろうか。どこから手をつけていいのか途方にくれるような困難な時代に、そんな社会を色濃く反映しているスクール・ライフに無防備にぶち当たっていく蛮勇(本人たちはたいしたこととも思ってないだろうが)は、くたびれた大人にこそ大きな勇気をくれる。
きっと息子の人生にわたしの出番がやってきたのではなく、わたしの人生に息子の出番がやってきたのだろう」
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ブレイディみかこさん。「ビジネス・ジャーナル」さんより写真拝借。
もう少し電子書籍になっている本があったら探してみよう。