かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

佐藤忠男さんは映画を独学で学んだ 〜 「ガザ」に住むフォト・ジャーナリストとのビデオ電話の記録映画『手に魂を込めて、歩いてみれば』。

 



 

 

12月16日(火曜日)。
Sさんに川越駅まで送ってもらい「シネ・リーブル池袋」へ、セピデ・ファレシ監督の『手に魂を込めて、歩いてみれば』を見にいく。

 


時間前に着いたので、7階のスタバでコーヒーを飲みながら、佐藤忠男さんの『映画館が学校だった──私の青春期』を読む。

 


 


佐藤忠男さんは、戦時下という不運もあって、満足に学校教育を受けることができず、小遣いをためては映画を見にいき、その批評を雑誌に投稿しながら独学で映画評論家になった。

 

 

ご本人が、若い日の苦しい足跡を次のように書いている──。

 

私は毎日の生活が不満で仕方がなかった。なにしろ私は、それまでに何度も人生の希望をうち砕かれている。中学への進学には失敗したし、その遅れをとり返すつもりで少年兵に行けば、すぐ敗戦になった。やっと鉄道教習所という学校にもぐり込んで国鉄職員になれば、卒業して現場に出るとすぐクビになった。田舎の電気工事店に住み込んだが、どうも店の人々とうまくやってゆけなくて、そこも一ヵ月ばかりでやめざるを得なかった。二十歳になる前にそれだけ繰り返しパンチをくらって、私はノック・アウト寸前であり、自分は世にも不運なダメな人間なのだ、と、心は小さく縮んでいた。その後七年間つとめた電信電話公社も、はじめ、ずいぶん長いこと臨時雇という不安定な身分だったせいもあって、仕事にうちこんでこれで一人前になろうという気にはなかなかなれなかった。

 

(「駆け出しのころ」──139頁】

 

 


繰り返される挫折のなかで、佐藤さんは映画への情熱を捨てず、ついに映画評論家として身を立てる。大変なことである。

 

 

2022年3月17日、91歳で亡くなった。(「Wikipedia」より)

 

 

 

 

【予告編】

www.youtube.com

 

 

2025年4月にイスラエル軍によるガザ空爆で命を落としたパレスチナ人の若きフォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナと、彼女を見守り続けたイラン出身の映画監督セピデ・ファルシの1年にわたるビデオ通話を記録したドキュメンタリー。

 


イスラエルによるガザ攻撃が続いていた2024年、セピデ・ファルシ監督は現地の人々の声を世界に届ける必要性を感じていた。ガザは封鎖され行くことができないため、監督はガザ北部に暮らす24歳のフォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナとのビデオ通話を中心とした映画の制作を決意する。

 

(「映画.com」より)
https://eiga.com/movie/104512/

 

 


 

 

セピデ・ファルシ監督のスマホに映るフォト・ジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナ(24歳)さんは、爆撃の続くガザ地区のなかにいる。

 

 

【フォト・ジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナ】

 

 

スマホの小さな窓の向こうに広がる廃墟の世界。住民は隔離されて、ここを抜け出すことができない。

 

 

瓦礫の街で暮らす子供たちの姿、住民の姿を──ファトマ・ハッスーナさんのカメラが捉える。

 

 

ファトマさん自身も、彼女の家族や親族や友人たちも、明日の生命が保証されない。

 


セピデ・ファルシ監督は、スマホをファトマさんに発信し、なかなかつながらないとき、心をざわつかせる。彼女は無事に生きているだろうか?

 


わたしたち観客も同じ思いで、ファルシ監督のスマホの画面に見入る。

 

 

ファトマさんがスマホの画面に笑顔を見せるとホッとする。

 

 

イスラエルの爆撃は、日々激しさを増す。時々、ファトマさんの近くで爆発音がする。

 

 

でも、ファトマさんは、泣き叫ぶことも怒りをぶつけることもなく、大抵はスマホの向こうで微笑んでいる。

 


 

 

以前このブログ界隈でもイスラエルの「ガザ」虐殺が話題になったことがある。

 

当時(2024年)出版されたアーティフ・アブー・サイフの緊急レポート『ガザ日記;ジェノサイドの記録』を読んだ。

 

 

イスラエルの爆撃を受けている現地からの生々しい報告。書いているのはジャーナリストだが、現地に住んでいる人で、「第三者」的な視点で書いているのではない。

 

読み続けるのがつらかった。

 

 

【疲れ切って、日々どこかの建物の陰で眠る。しかしそこで翌朝無事に目を覚ますことができるかどうかわからない】(睡眠中に攻撃を受けて爆死することも多い)──正確な引用ではないけれど、そういうことが綴られていた。

 

 

スマホの向こうのファトマさんも、いまはそういう状況にいる。彼女の笑顔に陰がまじってくる。

 

 

監督がファトマさんと連絡をとるようになってから約1年後──恐れていたとおり、監督が発信してもつながらないときが来てしまった。