ポールといえば解散まぎわ「ポール死亡説」というのがありましたですね。あれって、なんだったんでしょうね。アルバム『サージェント・ペパーズ』の裏ジャケでポールだけが後ろ向きに立っている、とか「アイ・アム・ザ・ウォーラス」の最後でジョンが「ポールを埋めた」と歌っているとか『アビー・ロード』のジャケットで、ポールが裸足(死人は裸足で歩く、という)だとか……でも、写真で本人が写っているんだから、ちゃんと生きてるじゃないか、と思えば、「あれはポールのソックリさんだ」とか、いろいろ理由を並べておりました。
しかし、どう見たってレコード・ジャケットの写真はポール自身だし、レコードのなかで歌っているのもポールにちがいないのだから、まともに信じるファンはいないんじゃないか、とおもいましたが、これが、なかなか終息しなかったのはふしぎでした。ポール自身が公衆の前に登場すれば、一瞬で「ゲーム」は終了したんでしょうけど、当時「ジョンとヨーコ」以外のビートルはあまりマスコミに登場しなかったことも、噂を加速させていました。
みなさん、覚えていらっしゃいますでしょうか。
いまはどうかわかりませんが、高校や大学の図書館には、日本人向けの英語雑誌「Life」が置いてあって、この雑誌は60年代のはじめからビートルズの記事をよく乗せていました。「ミュージック・ライフ」くらいしか頼る雑誌がない時代ですから、ビートルズの新しい情報をチェックするために、時々図書館へいくと、パラパラパラと新しい「Life」に目をとおすのを習慣にしておりました。英語が読めるわけではありませんので、「Beatles」の文字が目にはいるかどうか、それだけの勝負です(笑)。しかも、自分でも感心しますが、ビートルズの記事がありますと、頁の間から記事が勝手にぼくの目に飛び込んでくるんです、ほんとに(笑)。
ポールの生存を一番早く伝えたのは、おそらくこの「Life」という英語雑誌だったとおもいます。顔じゅうに髭をはやしたポールが表紙に写っていて「ぼくは生きているよ」というのが最初のメッセージでした。まともに心配したわけじゃありませんけど、バリバリ最新のポールを発見して、すごくうれしかったのを思い出します。
その頃、ポールは自身の農場にこもってソロ第1作『マッカートニー』の制作に没頭していたんですね。
1970年頃の回想でした【END】