かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

東峰夫著「オキナワの少年」/「島でさようなら」

上原隆「友がみな我よりえらく見える日は」を読み、東峰夫という作家に興味を感じた。1972年芥川賞受賞作品の「オキナワの少年」(右写真は、映画用ポスター)を読んでみる。まず、会話の言葉がオキナワの日常語なのか、意味がよくわからなくてつまずいた。かといってこれを標準語にしたら作品として成立しない。地域色の強い作品を読むには、この読みにくさを我慢しなければならない。

作品の時代背景はいつなのだろうか。作者の東峰夫昭和13年(1938年)生まれ、自伝的な作品とすれば、少年の年齢は12歳から14歳くらいだろうか。そのまま東峰夫の年齢に移行してみると、時代背景は昭和25年から昭和27年くらいになる。いずれにしても、戦後まもないオキナワが作品の舞台だ。

アメリカの兵隊は性欲に飢えている。少年の家は、アメリカ兵を相手する女性に、「仕事」の場所を提供している。場所がふさがっていると、少年の寝床まで「仕事」の場に使われる。少年の寝床には、女と精液の匂いが消えない。少年の願いは、この島を脱け出すことだ。島を脱出して、ロビンソン・クルーソーのように、どこか無人島へ漂流したいと考えている。「オキナワの少年」は、少年が小さな船で島を脱出しようと試みるところで終わる……。

同じ本に収録されている「島でさようなら」も、自伝的作品で、「オキナワの少年」の続編といってもいい。高校生になった少年は、トルストイを読み、深い感化を受け、高校を中退してしまう。家にいて本ばかり読んでいる少年を家族が許すはずがない。少年の心は、誰からも理解されない。やがて、少年はもう1度この島を離れる決意をする。

トルストイの文章が大量に引用されているが、説得力があって、少年がなぜ島を去ろうと決意したか、簡潔な説明になっている。この世の中の仕組みがどれほど不合理であるか。社会はある富裕な階級の特権が、法律と警察組織によって保護されている。学校は、その不公平な社会秩序を維持するために子供たちに「社会秩序を守るための良識」を植え付ける。そのことをトルストイから教えられた少年は、惰性的な生活を変革する。しかし、周囲に理解を求めるのは絶望的だ。少年の深い孤独が描かれる。

少年は、純粋に生きようとする。一部の階級のための、「飼いならされた社会人」を育成する高校をやめてしまう。「晴耕雨読」の暮らしが少年の理想だが、それを少年の周囲も、オキナワも許してはくれない。「本土」にいけばどうだろうか。少年が選択した道は、とてもリスクが大きいように思われる。

平均的で、ただ安定した生活だけを望む青年たちに、「オキナワの少年」、「島でさようなら」の主人公の、自爆的ともいえる生き方はどう映るのだろうか。ぼくは、トルストイを読んでみたくなった。