かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

宗教のこと

これは携帯電話からの送信です。写真は、住む人を失った家の、小さな庭の眺めです。

母の告別式で、最初に県議会議員市議会議員の焼香が5〜6人続くのがすごくいやでした。しかも本人の参列ではなく、たいていは代理の人たちです。

誰がそういう母と交流のない地方政治家を呼んだのかというと、近所の人が段取りをつけたようでした。こちらへの打診もなく、手配しました、との事後連絡です。その人にとっては、政治家を招くのは、打診するまでもない、あたりまえの風習ということなのでしょう。親切心からの行為だとは思いますが、事前にどうするか一言聞いてくれたらお断りできたのに、と苦々しい思いで、とにもかくにも、次々読まれる長々しい肩書きを不快に聞いていました。

お金の話で恐縮ですが、通夜と告別式をあわせてお坊さんのお経代が45万円。お寺の使用料が5万円。この金額が適切かどうか、考えは人それぞれわかれるでしょうが、信仰のないぼくには「葬式仏教」とか「坊主丸儲け」とかいった言葉が思い浮かび、ありがたさなどまるで感じられませんでした。ばかばかしくて、自分の葬儀ではカットしてもらいたい、と思いました。

肩書きも宗教儀式もいりません。ぼく自身は、ごくごく少数の家族や知人だけに(それも不要かもしれませんが)見送られたい、そんな気を改めて強めました。

中野孝次の「清貧の思想」に、宗教について以下の言葉がありました。長いですけど引用します。

人は自然のままに放っておけば、物が欲しい、金が欲しい、地位が欲しいと、あればあるでさらに多い所有を求める。欲望は限りなく、権力ある者はさらに権力を、富裕なる者はさらに金銀を欲してやまない。けれども現実にある富や土地や資源には限りがあり、権力と権力は両立しない。欲望のままに放っておいてはこの世は争いの地獄になるしかないという認識から諸悪の根源を欲望にあると見て、平安を得るためには欲望を断てと教えたのが宗教であった。

宗教の本質について、簡明で的を得た説明だと思います。これなら宗教は人類の素晴らしい精神的な財産だと思います。それだけに、まじかに経験した「葬式仏教」との隔たりを感じてならないのですが…。