1月11日シネスイッチ銀座へ、ケイト・ショートランド監督『さよなら、アドルフ』を見にいく。
きょうから公開。11時10分の回に出かけた。試写会で見たひとを別にすれば日本でもっとも早く見たひとのひとりになる。だからどうだってこともないけど(笑)。
ラジオの「バラカン・モーニング」で、ピーター・バラカン氏が熱心に推薦しているのを聴いて、見たくなった。おっしゃるとおりに、素晴らしい映画だった。
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オーストラリア・ドイツ・イギリス合作。
第2次世界大戦直後のドイツを舞台に、ナチス高官の子どもたちが辿る過酷な運命を描いたヒューマンドラマ。
1945年春。ナチス親衛隊の高官だった父と母を連合軍に連行された14歳の少女ローレは、幼い妹や弟たちを連れ、遠く離れた祖母の家を目指す。過酷な旅の中で、ナチスがユダヤ人にしてきた残虐な行為の数々を知り衝撃を受けるローレ。そんな彼女を助けてくれたのは、ユダヤ人の青年トーマスだった。
監督・脚本は、デビュー作「15歳のダイアリー」で注目されたオーストラリアの女性監督ケイト・ショートランド。原作はブッカー賞最終候補にもなったレイチェル・シェイファーの「暗闇のなかで」。
(「映画.com」の解説より)
ヒットラー総統を信じて疑わなかった長女のローレは、敗戦後、ホロコーストの実態をはじめて知る。正しいとおもっていたヒットラー総統や父たちがやった信じられない残虐な行為に愕然とする。
近隣住民は、ナチス高官の子に冷たい。戦争責任が子どもにあるはずもないのに。少なくも、ナチスに権力を与え、熱狂的に支持した国民(おとなたち)より、罪は軽いはずなのに。ところが自分たちの過ちは忘れて、いざ戦争に負けると、その責任を自分以外の誰かに押しつけたがる。
敗戦後の日本でも、あの戦争は政府や軍部に騙されたのだ、という意見があるけれど、そういう政府や軍部を支持したのは国民であることを忘れるわけにはいかない。国民の後押しなくして、戦争はできない。
「景気回復」というエサにつられて国民が圧倒的な議席数を与えた自民党。その現総理の止まらない暴走ぶりに、ついつい思いがいってしまう。のちに見て、「いまおもえば、まだ民主党のほうがマシだったよ」なんてことにならなければいいが、とおもう。
さて肝心の映画・・・。
ナチスの政権下、子どもたちは、愛国心と正義と規律を教えられ、ドイツの伝統の正統性をしつけられたはずだ。
それがどうなったか・・・
公開されたばかりの作品。いまラストシーンを語るのは反則なので、書くのは控えよう。この映画の最後は、とても心に重く響いてくる。
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映画館を出ると、「ぴあ」の出口調査をやっていた。「映画はどうでしたか?」と女のひとにたずねられたので、「とてもよかったです」とこたえる。
「点数にするとどうですか」と聞かれたので、「100点です」といったけれど、もっとそれ以上の120点でもいいな、とおもいながら有楽町駅へ向かう。
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