かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

淀川長治「淀川長治、黒澤明を語る」

淀川長治、黒澤明を語る。
タイトル通りの本。ただ一時期に書き下ろしたり、語り下ろしたものではなく、長い年月(最初は「羅生門」がアメリカで公開されたころか)のあいだに、淀川長治黒澤明について書いたり、また本人と対談したものなどが集められています。

黒澤明山本嘉次郎監督の「」で助監督をやっていたころ、淀川長治東宝の宣伝部にいて、当時からの知り合いだという。つまり黒澤明が「姿三四郎」でデビューする以前からの友達であるそうです。

羅生門 デラックス版 [DVD]
淀川さんは、晩年の作品まで黒澤明の作品をほぼ肯定的に話しておりますが、一番好きなのは「羅生門」。カメラの使い方、映像美を絶賛しています。映画「羅生門」は、黒澤らしい激しい雨のシーンからはじまりますが、普通にいくら雨を降らせても、白黒画面ではその迫力が伝わってこない。そこで、水に墨汁を含ませてザーっと雨を降らせたと黒澤は説明していますが、そんな苦心のなかから、あの強烈なシーンが生まれてくるのですね。こうした名作映画の苦心談は、読んでいても楽しいものです。

生きる [DVD]
映画「生きる」では、構成に苦心した話をしています。主人公が癌の告知を受ける。寿命はあと半年。そこで生きているあいだに何か残したいと考える主人公は(市役所の市民課につとめている)、町に公園をつくるわけですけど、それを死ぬまでただ追って描いていってもしかたがない。どうしたらよいか。ここで、シナリオは頓挫してしまった、と話しています。黒澤はこのことをよく話しているので、みなさんご存知かもしれませんが。

その時ある数学者か何かの随筆を思い出したそうです。主人公は、妻と、ある公園にきている。そこで、妻は一生懸命どんぐりを拾っている。随筆は、どんぐりを拾う妻の姿を描写している。それから1行あけ、いきなり「この妻が死んで……」と随筆は一気に時間がとんでしまう。むかし、山本嘉次郎監督が「クロさん、これが映画だよ」と教えてくれたのを思い出し、それが「生きる」の後半に反映されました。つまり映画は、「この主人公は死んだ」というナレーションで、いきなりお通夜のシーンにとぶんですね。あざやかな構成で、一瞬びっくりしてしまいます。

寺田寅彦随筆集 (第1巻) (岩波文庫)
黒澤明がヒントにした随筆は、夏目漱石の門下生でもあった物理学者、寺田寅彦の「どんぐり」という随筆です。寺田寅彦は、物理学者でありながら、名随筆家でもありました。なかなかおもしろいので、黒澤明の「生きる」のヒントになった「どんぐり」他、一読の価値があるとおもいますのでご紹介しておきます。

淀川長治は、映画を「目で見る。目で見るのね」と繰り返しています。セリフで説明することなく、映像で表現することこそ監督の仕事で、観客の方もそれを見て理解する眼識を養わなければいけない、とそういうことを「目で見るのね」といっているのだとおもいます。

羅生門」は、激しい雨のファースト・シーンから、とたんにかんかん照りの真夏の回想シーンに移ります。森の中に横たわる盗賊多襄丸(たじょうまる)の顔に木の枝の影が映りますが、これが風にゆれます。そういう映像を描きながら、「もしあのとき、風が吹かなかったら、こんなことは起こらなかっただろう」という多襄丸のナレーションがはいる。この緻密さに、淀川さんがおどろいています。

ほぼ全作、淀川さんの黒澤明評を読んでいると、映画を見直したくなります。本の編集は、あとから集めたものだけに同じことを説明した内容的な重複もかなりありますし、どれも、どこかで読んだと思われるような記事がおおかったのも事実ですけど、改めて黒澤明作品の魅力を考えるいい刺激になりました。