山田洋次監督の時代劇三部作の最後。前の二作は、安定したおもしろさを持っていたので、今回も見てまいりました。
山田洋次監督の時代劇は、武士の日常のようなものを、丁寧に描いて見せてくれます。『たそがれ清兵衛』で、テキパキとたすきをかける宮沢りえの凛々しい立ち居振舞い。武士の娘というのは、なるほどこういうものなのか、と感心しながら見ました。山田時代劇のおもしろさは、武士社会の日常の描写だとおもいます。
主君の毒見役をするのが主人公木村拓哉の仕事。退屈な仕事だが、ある日毒見した赤貝の刺身があたって、失明。平穏な生活が一変します。視力を失った下級武士が、これからどのように暮していけばいいのか。
ロード・ショー中の作品は内容を詳しく書いてしまうのは、これから見ようとするひとの興をそぐとおもいます。ストーリーは書きませんが、とても静かに、木村拓哉が好演しています。
山田洋次監督の時代劇三部作から、ぼくが読み取るのは武士社会の無意味さです。これを現代の競争社会と置き換えてみることも可能でしょう。三部作のどの主人公も、武士社会に出世を望まない不器用な下級武士を描いています。平凡な幸せを望むだけの主人公に、理不尽な運命が襲いかかかります。その軋みのようなものが映画の山場になっています。
武士道を信奉して『国家の品格』などという本を書いたひともいますが、いまさら現代の日本にこんな窮屈で人間性を欠いた道徳のありようを、いかにも美徳のように持ち込まないでほしい、と切におもいます。
普通に家族と自然と人間を愛し、平凡な人生を生きること……その幸せを山田洋次監督は時代劇三部作で描いているようにおもいました。保守的といえば保守的ですが、山田洋次が寅さんシリーズから一貫して描いている人間の幸せのあり方で、それは時代劇でも変わりありません。