このアルバムは、ビートルズの過渡期的な作品集という評価が一般的なようですけど、ぼくは大好きな1枚です。カバーが何曲、オリジナルが何曲、というのはあとになって話題になったことで、当時はどれもこれも、出来たてホヤホヤのビートルズの新曲であることに変わりがありませんでした。
参考までに、こちらのサイトを見せていただいたら、『フォー・セイル』が日本で発売されたのは、1965年3月15日とのこと。ぼくの記憶ではもっと早かったような気がするのですが、記憶なんてあてになりませんから、そういうことなんでしょう。
『ア・ハードデイズ・ナイト』に続いて、ぼくがリアルタイムで買った(正確には、買ってもらった)2枚目のビートルズのアルバムでした。
収録曲は以下のとおり。レコード時代のようにA面、B面をわけてみます。
○Side A
- ノー・リプライ
- アイム・ア・ルーザー
- ベイビーズ・イン・ブラック
- ロックン・アンド・ロール・ミュージック
- アイル・フォロー・ザ・サン
- ミスター・ムーンライト
- カンサス・シティー〜ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ
○Side B
- エイト・デイズ・ア・ウィーク
- ワーズ・オブ・ラヴ
- ハニー・ドント
- エヴリー・リトル・シング
- パーティはそのままに
- ホワット・ユー・アー・ドゥーイング
- みんないい娘
ジョン・レノンの歌う1曲目の「ノー・リプライ」は、イントロなし。イントロなしは、ビートルズのお家芸ですね。
これまで出したオリジナル・アルバムの第1曲目を見ていくと、
- 『プリーズ・プリーズ・ミー』(「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」)
- 『ウイズ・ザ・ビートルズ』(「イット・ウォント・ビー・ロング」)
- 『ア・ハードデイズ・ナイト』(「ア・ハードデイズ・ナイト」)
というわけで、アルバムの第1曲目は“カウント”や、“ジャ〜ン”のコード鳴らしはあるものの、すべてイントロなし、ぶっつけのヴォーカルで、ファンをいきなり惹きこんでしまいます。これは、十分意図された構成だとおもっています。そして、このイントロなしは、次のアルバム『HELP!』(「ヘルプ」)まで続きます。
話はそれましたけど、「ノー・リプライ」は初期のジョンのヴォーカルの魅力がたっぷり聴ける名曲。唾のとんできそうなジョンの声が圧巻です。ジョンは、その他にも「ロックン・ロール・ミュージック」や「ミスター・ムーンライト」を熱唱していて、ヴォーカリストとして、頂点にいました。
SideAに較べると、SideBはインパクトが弱いような気もしますが、それだけマニアックに楽しめるともいえます。一度聴いてしびれてしまうような強烈なナンバーのあいだに、あとで「これってよく聴くと名曲じゃない?」と気づかせてくれるような隠し味的名曲をしのばせるのも、初期からのビートルズの得意技でした。
このアルバムから、5枚のシングル盤が発売されています。
- 「ノー・リプライ」 /「エイト・デイズ・ア・ウィーク」
- 「ロック・アンド・ロール・ミュージック」 /「エヴリー・リトル・シング」
- 「ミスター・ムーン・ライト」/「ホワット・ユーアー・ドゥイング」
- 「カンサス・シティ」 /「アイル・フォロー・ザ・サン」
- 「パーティーはそのままに」/「みんないい娘」
14曲中10曲がシングル発売されたのだからビックリですが、まだまだアルバムが高くて簡単には買えない時代ですから、シングル・カットはファンにもありがたいことでした。そんな状況のなかで、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」のような日本独自の大ヒット曲も生まれています。
★ ★ ★
その頃の、個人的な想い出としては、1965年2月28日(埼玉県の県立高校の試験前日)に、アメリカの約1年遅れで「エド・サリバン・ショー」がテレビ放映され、母と大ゲンカしながら見た、こと。
アメリカで視聴率70%を超えたというビートルズの登場するシーンが、はじめて日本で放映されるわけです。朝からそわそわして落ち着かず、正直、明日の受験どころじゃありませんでした。
父母は、比較的理解のあるほうでしたが、それでも<ビートルズ狂い>(わたしのこと、笑)には手を焼いていました。言い合いは毎度のことでしたが、そのときも口論になって、母が「受験とビートルズとどっちが大事なんだ」というので、「ビートルズに決まってるだろ!」といったら黙ってしまい、それからテレビのビートルズに没頭しました。
そんな状況だから、『ビートルズ・フォー・セイル』が発売されても買ってもらえず、中学校が終ると、毎日自転車で町のレコード屋へいって、このアルバムを眺めていました。
「あなた、そのレコードがホントに好きなのね。わたしが買ってあげるから持っていきなさい」
ある日、お店の40歳くらいの女性店員が、レコードを手渡してくれました。ウソのようなホントの話です。母に話して、あとでお金を払いましたが、その女性の厚意はいまも忘れられません。