■片岡義男著『映画の中の昭和30年代〜成瀬巳喜男が描いたあの時代と生活』
片岡義男は、映画の中に立ち入って、登場する人物と、その背景にある<昭和>の生活風景を探索しています。
成瀬巳喜男の映画は、ほぼその製作された年代と作品のなかの時代が一致しますから、こういう「昭和探索」が可能になるんですね。
それにしても、どのくらい繰り返して同じ映画を見れば、これほど深く人物や風景の中にはいれるのか。
次の作品が詳細に分析されています。
- 銀座化粧(1951)
- めし(1951)
- おかあさん(1952)
- 稲妻(1952)
- 夫婦(1953)
- 妻(1953)
- 山の音(1954)
- 晩菊(1954)
- 浮雲(1955)
- 驟雨(1956)
- 妻の心(1956)
- 流れる(1956)
- 杏っ子(1958)
- 鰯雲(1958)
- 女が階段を上がる時(1960)
- 娘・妻・母(1960)
読みながら、映画を見直したくなりました。一度見ただけでは、見落としていることがいっぱいあります。そういう見落としを確認するためには、二度三度、映画をていねいに見なければなりません。
著者の成瀬巳喜男作品の評価は全般に厳しく、映画が終っても何も先が見えてこない、何も片付かない、だから何が描きたかったのかわからない……そういう不満が残ることを、いくつかの具体的な作品を通して詳しく説明しています。
しかし、そういう著者に、とりあえず、ぼくは夏目漱石の言葉で弁明してみることにしました(笑)
世の中に片付くなんてものはありやしない。一遍起こったことはいつまでも続くのさ。ただいろいろに形が変わるからひとにも自分にもわからなくなるだけのことさ。
(「道草」より)