松竹の伝統といわれる<蒲田調><大船調>を唱えた、城戸四郎の伝記。城戸は、松竹の撮影所所長から、社長にまで昇りつめます。
城戸四郎の<小市民映画>は、日本映画の大きな源流の1つになりました。
小津安二郎、木下恵介、最近の山田洋次まで、<小市民の涙と笑いをあたたかく描く>という、この城戸四郎の映画論の実践者であるように見られます(本人たちにその意識があったかどうかは別)。
しかし、必ずしも城戸は小津安二郎作品の擁護者であったわけでもなく、山田洋次監督の「男はつらいよ」にいたっては、<テレビのドラマを映画にして、誰が見る!>と、映画化の企画には、強硬に反対したそうですから、内側をのぞいていくと、意外で、興味深いことはたくさんあります。
日本映画の全盛期から、衰退まで、松竹映画を背負って生き抜き、容赦なく監督のクビ斬りも敢行した、独裁者の内幕が興味深く描かれています。