かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

横浜の「神奈川近代文学館」へ「生誕120年 小津安二郎展」を見にいく①(4月11日)。





4月11日㈫。晴れ。
ひとり「みなとみらい線」に乗って、横浜の「神奈川近代文学館」へいく。「元町・中華街」駅下車。


以前一度来ているから少しは記憶に頼れるとおもったけれど、駅の出口を間違えたので、全然どっちへいったらいいかわからない。


犬を散歩中の男性に行き方をきく。犬は闘犬のような怖い顔をしていたが、男性は丁寧に教えてくれた。


港の見える丘公園」から、180度の視界広がる海を眺めながら、ベンチでひと休み。


近代文学館へ行く途中に、チューリップが咲いていた。





神奈川近代文学館」。





「生誕120年 没後60年 小津安二郎展」。

  • 小津安二郎1903年12月12日、誕生。
  • 1923年、撮影部助手として松竹入社。
  • 1927年、監督として初めて撮った映画は、時代劇『懺悔の刃』。
  • 1962年、最後の作品は『秋刀魚の味』。


60歳で亡くなるまでの、さまざまな資料や写真が展示されていた。



無声映画時代の小津は、庶民(かなり下層)の暮らしを素材にしているけれど、ユーモアを交えることも忘れていない。


「普通に暮らす市民を描く」(市民映画)という松竹映画の基本方針を象徴するような、庶民の泣き笑いを映画にしている。


無声映画時代の小津作品でわたしが一番好きなのは『大人の見る繪本 生まれては見たけれど』(1932年)。


ふたりの子供の視点から(子役が抜群におもしろい)、子供の前では威張っても、重役の前では媚びへつらうサラーリマンの悲哀を描いている。


最初の構想より、終わりが暗くなりすぎたかもしれない、というような小津の回想も紹介されていた。







「喜八もの」=『出来ごころ』(1933年)、『浮草物語』(1934年)、『東京の宿』(1935年)の3作。



『出来ごころ』。




同一人物ではないけれど、下層に生きる主人公は、3作とも「喜八」(役者は坂本武)と呼ばれている。貧乏だが、情に厚い。女に惚れるが、片想い(笑)。


のちの山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズに登場する「寅さん」を思わせるキャラクター。



トーキー時代へはいる(1936年)。


トーキー5作目の『父ありき』(1942年)で、笠智衆がはじめて主演を演じる。


修学旅行で、こっそり抜け出した子供たちが、ボートに乗って転覆。幸い犠牲者はなかったが、教師の堀川(笠智衆)は、責任をとって辞職。


父と息子のふたり暮らしだったが、父の転職のため、別々の土地で暮らさなければならなくなる。


離れ離れになった父と息子の心の結びつきが描かれるが、戦争中の時代背景もあって、父が、成長する息子に語る言葉のなかに、教訓的な匂いを感じてしまう。ただ小津安二郎は、明らかな戦意高揚映画は撮っていない。



『晩春』(1949年)。出演:笠智衆原節子月丘夢路杉村春子など。






小津安二郎の映画に、はじめて原節子が出演。この作品から、わたしたちが知る小津映画のイメージが定着する。


さらには、野田高梧小津安二郎の共同脚本がここからはじまり、最後の秋刀魚の味(1962年)まで続く。


『晩春』、『麦秋』、『東京物語』の3作品で、原節子は、同一人物ではないが、紀子という名前で登場する(→紀子三部作)。笠智衆同様に、小津映画に欠かせない俳優になってくる。


内容は、父と娘、幸せに暮らしているが、このままでは娘が婚期を逸しかねない。父は、自分が再婚するとみせかけて、娘を嫁がせようとする。


父の再婚話に嫉妬する原節子の顔が、能面の般若のようになる。怖い!



『晩春』本編の一部。5分52秒。
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麦秋』(1951年)。出演:原節子笠智衆淡島千景杉村春子ほか。




戦死した兄の友人・謙吉は、妻を亡くし、母と残された小さな娘と暮らしている。


ある日、届け物をもってきた紀子に、謙吉の母(杉村春子)が切り出した話で、思わぬ展開になる。


謙吉の母は、怒ちゃいけないよ、といいながら、謙吉も紀ちゃんみたいな人と結婚してくれたらいいのにねえ、と笑いながらいう。ところが紀子は、おばさんほんと、わたしみたいな売れ残りでいいの? と返す。


謙吉の母は、自分で話を切り出しておきながら、びっくりして、「ほんとにほんと、今の話、本当にしていいの」と信じられない(ここまでの会話は、記憶だけで書いているので、正確ではないです)。


YouTubeに、その場面の映像があったので、アップしておきます。できたら、この場面は、映像で確認してください。


麦秋』本編。紀子が結婚を決意する場面。そのあとの謙吉と母の会話がおもしろい(8分10分〜14分10分くらいのところ)。
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紀子の両親は、子持ちの男との結婚に反対するが、彼女はめずらしく頑固に意思を通す。

だけどあたし、小母さんから言われた時、すーッと素直にその気持になれたの。なんだか急に幸福になれるような気がしたのーーだからいいんだと思ったの。



(展示されている『麦秋』からの引用)


しかし、このあと、映画のテーマは紀子の結婚を契機に、三世代同居の家族が離散していく話に移っていく。


小津安二郎自身の言葉が紹介されていた。

これはストウリィそのものより、もっと深い<<輪廻>>というか<<無常>>というか、そういうものを描きたいと思った。その点今までで一番苦労したよ。


(中略)


原さんはいい人だね。こういう人があと四五人いるといいのだがね。




(「小津安二郎・自作を語る」からーーと、展示に紹介されていた)


麦秋』は、小津作品のなかで、原節子がもっとも溌剌と輝いて見える映画。甥っ子たちをからかい、大和からやってきた耳の遠い老人と珍問答を繰り返す。原節子自身も、映画のなかでよく笑う。


『晩春』は、父の再婚話に嫉妬する娘の役だし、次の『東京物語』は、夫を戦争で亡くした未亡人役。どこかに暗い影が漂う。


麦秋』は、華やかな原節子を見ることができる最高級の作品。『東京物語』と同じくらい、わたしはこの映画が好き。





もう少しあとを続けたいけれど、長くなったので、次回に回します。この頃、すぐにくたびれる(笑)。